
ロイヤル オーク異端児から本格派コレクションへ
まとめ
最初のロイヤル オーク、異端児それとも神童?
1972年、最初のロイヤル オークの発売が報道されました。その前代未聞の コンセプトは、伝統的なラグジュアリーウォッチ市場に少なからず衝撃を与えました。ジェラルド・ジェンタのデザインによるこのタイムピースは、スティールにゴールドのステータスを与えていたのです。八角形のベゼルに8個の六角形のネジ。これはオートオルロジュリーの世界では考えられないコンセプトでしたが、このウォッチは機械式のマスターピースムーブメントを頑丈なケースに収納したことを表現していました。それはキャリバー 2121、世界で最も薄いセントラルローター付自動巻きムーブメントです。製造も装飾に非常に難しいこの最初のロイヤル オークには、当時のゴールドウォッチと同じ価格がついていました。
懸念や批判にもかかわらず、1972年4月15日の発売と同時に熱狂的な反応を呼びました。その年末までには8か月で490本が売れ、1875年のオーデマ ピゲ創立以来、1モデルの最大販売数の記録を打ち立てました。当時、ル・ブラッシュのオーデマ ピゲは100人以下の従業員で、数千本のウォッチを25本以下の少量ロットやワンオフ(単品)で製造していたことを考えてください。
ロイヤル オークは少しずつ、新たな消費者の心を魅了して行きました。人々は多彩でスピーディな現代生活とライフスタイルに合うスポーティでエレガントなウォッチを求めていたのです。4年ほどは安定して販売数を伸ばしましたが、ロイヤル オークは実はオーデマ ピゲではUFOのようなものでした。自由な精神、異端児それとも神童か… ですから扱いはそう簡単ではありませんでした。



ブランドのアイデンティティを失わずに着実に星をふやす
でもオーデマ ピゲの ジョルジュ・ゴレイは、ロイヤル オークが会社の運命を変え、ブランドイメージを刷新することができると考えていました。彼はロイヤル オークを積極的にサポートしていましたが、ジェラルド・ジェンタによりデザインされたモデルに、ある種の懸念を持っていたのも事実です。ジェラルド・ジェンタはその懸念について人々に語っていますが、それは抵抗のようなものだと解釈していました。1982年、雑誌Business & Finance がジョルジュ・ゴレイにインタビューし、ロイヤル オークがブランドイメージに与えるインパクトについて尋ねました。従来的なものとは全く違うデザインで、当時のオーデマ ピゲのコレクションとは大きなコントラストを成していたからです。彼はロイヤル オークの貢献については嬉しく思っていましたが、こうも言っています:「このスターモデルだけをもってブランドのイメージが作られることは望んでいない」。
だから1976年までロイヤル オークのバリエーションが全く現れなかったのでしょうか?資料にははっきりとしたことは書いてありませんが、数字を見るとオーデマ ピゲがこの新モデルに完全に依存しないよう慎重に行動していたことがわかります。1972年から1976年まで、ロイヤル オークは製造数の7%を超えることはなかったし、売上額も6%以下でした。商業的には失敗だったと分析する専門家もいるのはこの理由によるのでしょう。広告キャンペーンでは、スケルトン、レディース、オーバル型、ジェムセットなど多くのバリエーションを紹介していました。
1976年: ロイヤル オーク II が開けたパンドラの箱
ロイヤル オークの初のレディース、モデル8638(当初は「ロイヤル オークII」と呼ばれていた)のアイデアは誰がいつどのように出したものかについて、記録も証言もありません。しかし、計画はそのずっと前からあったことは確かです。最初のバージョンは1973年にスケッチされており、1974年には最初の図面が引かれています。そしてオーデマ ピゲの初の女性デザイナー、ジャクリーヌ・ディミエが来てから1976年に計画が実行されるのです。
1972年のモデル5402ほど大胆ではないにしても、1976年のモデル8638 はスティールケースでありネジを見せており、ミニチュア化した自動巻きメカニズムを搭載していました。径を39ミリから29ミリに小さくしたことで製造はより難しくなりましたが、発売と同時に大きな人気を呼びました。1976年には423本を販売、翌年には756本がル・ブラッシュから納入されました。1978年にはほぼ1,000本に迫り、1979年にはこの大台を超えています。
1977年: 自らのルールを破るロイヤル オーク
1972年にロイヤル オークは時計づくりのルールを破りましたが、1976年のレディースバージョンは自らのルールをも破ったのです。この時から、デザイナーたちの想像力は真に自由に羽ばたくことができました。
真の転換点は1977年にやって来ました。オーデマ ピゲは5402と8638モデルを同時に投入しました。イエローゴールド、ホワイトゴールド、そしてスティール/イエローゴールドのバイカラーです。同時に35ミリの中間サイズのモデル4100を加えました。この時から5年弱(1977年~1981年)で、27の新モデルが登場します。サイズは数種類、メンズとレディース、ジェムセットもあり、ダイヤルも多種展開され、時にはタペストリーモチーフさえなく、さらに7種類のムーブメントがあり、クォーツも含まれていました。ロイヤル オークを懐中時計として解釈したものさえありました!




モデル 4100、ロイヤル オーク IIIの誕生
ジャクリーヌ・ディミエのデザインによるモデル4100 は、資料によっては「ロイヤル オークIII」とも呼ばれています。このモデルは39ミリのロイヤル オークがあまり受けなかったいくつかの市場からの要望に応えたものです。ロイヤル オークのイタリアのエージェント、カルロ・デ・マルキが1970にロイヤル オークのアイデアを出した一人だったにもかかわらず、イタリア市場ではあまり人気が出ませんでした。デザイナーの ジェラルド・ジェンタ は2012年にオーデマ ピゲのインタビューでこう語っています:「致命的な問題はサイズだった。当時イタリアで男性が好んで着けていたレディマティックに比べると、象のように大きかった」あまり大きなものだったので、イタリアでは全く受けつけられなかった!」
この39ミリのウォッチにロイヤル オーク "ジャンボ"というニックネームがついたことまではジェンタは語っていません。大きくなったのはロイヤル オークのケース構造によるものです。特に8個のネジがキャリバー 2121(12 ½-リンニュ/径28ミリ)の外側に位置しているからです。径を小さくするにはもっと小さいムーブメントを使うべきでした。
1977年にリファレンス900として投入されたキャリバー2123 は当時、ル・ブラッシュからすぐ近くのLeCoultre & Cieが製造していました。オーデマ ピゲはこのメーカーとは数十年前から取引があり、技術提携もし、友人でさらに親戚でもありました。ムーブメント2123は前身の2121より小さく(11½ リンニュ、径26ミリ)、ただしやや厚い(3.05ミリに対し3.25ミリ)ので秒針を加えることができました。振動数も高く(19,800に対し28,800振動/時)、精度も優れていました。ケースのデザインをやり直し、3ピース構造にして内部のスペースを有効に使うことにしました。 モデル 5402の「モノコック」システムとは違います。モデル5402の大きなガスケットが占めていたスペースは新しい構造のベゼルにしました。このような変更を行ったあと、ムーブメントが2ミリ小さいだけなのにケースの径は4ミリも縮小することができました。ですから新しいロイヤル オークは35ミリに縮小されたのです。
ついにロイヤル オークを受け入れたイタリア
オーデマ ピゲはベストパートナーのためにこのモデルを製造することにしました。1976年11月にイタリアのケー スメーカー、フォンタナが図面を完成させます。後にラスコーと社名変更するこのケース専門メーカーは、セスト・カレンデのマッジョーレ湖の近くにありました。ゲイ・フレールがブレスレット477番 を製造し、ジュネーブのダイヤルメーカー、スターン・フレールが以前のロイヤル オークモデルと同じT21タペストリーモチーフのダイヤルを製造しました。
1977年、オーデマ ピゲはロイヤル オーク4100ウォッチの1,000本以上の製造にかかります。見事な広告キャンペーンも功を奏し、このモデルは発売の年に472本も売れました。1978年には1,597本の大波が押し寄せ、1979年には1737本に達します。モデル4100 ウォッチはトータルで5,720本を売り上げ、ロイヤル オークは新たな地歩を築きました。
ロイヤル オーク 4100 はモデル8638以上に、業界の異端児が変化し柔軟に変身することができることを示しました。その75%以上がゴールドを含んでいます。モデルは全て35ミリ、 12時位置にAPモノグラムがつき、ウルトラシンはありません。この新しいデザインコードにより、イタリア市場もついにロイヤル オークを受け入れ始めました。モデル5402 のイタリア市場での売り上げは4%だけですが、4100 と8638は1,379本販売しているので、製造トータルの15%に相当します。当時ロイヤル オークのスイスでのディストリビューションを担当していたレイモン・ボルナンによると、イタリア人男性は29ミリのモデル8638を好んで着けていたといいます。そしてモデルの2/3はオールゴールドまたは一部がゴールドでした。ロイヤル オークの将来はこの新しいデザインコードの上に築かれていたといえるでしょう。



1978年~1982年:新しい35ミリ、そして36ミリのクラシックに
モデル4100 はアーカイブでは「ロイヤル オークIII」と呼ばれています。この時からバリエーションが非常に増えたため「IV」バージョンはできていません。サイズは多種ありましたが、35ミリがメンズウォッチの新たなスタンダードとなりました。
1978年から1982年の間、モデル4100 のいくつかのバリエーションが作られました。キャリバー2123 (径26ミリ、厚さ3.25ミリ)を搭載たジェムセット バージョンです。4153 (1978年)、 4275 (1981年)、 4287(1981年)、4331 (1982年)があります。1986~87年には35ミリモデルはより小さいキャリバー2131 (23.3 ミリ、厚さ3.2ミリ、Frédéric Piguetのブランク)を搭載していました。それらにはモデル14544 (1987年)、14486 (1990年)、 14575 (1990年) 、14674 (1990年)があります。
1983年からはさらに変化が進みます。大多数のモデルは36ミリにアップサイズされ、ロイヤル オーク4332 (カレンダーモデルの5572, 5581, 5658, 5577, 5595, 25594...)、そしてその後1990年からは14700ラインがこれに続きました。その後20年間、36ミリのロイヤル オークが50種以上発売されました。ほとんどはキャリバー2125とその派生キャリバーで、その中には1970年代にLeCoultre & Cieが製造していた自動巻きムーブメントのファミリー 、キャリバー2225も含まれます。これらの 「トラクター」(コンプリケーションを組み込むことのできる頑丈なムーブメントを時計師たちはこう呼んでいた)は21世紀になるまで、数えきれないほどのモデルに使われてきました。




1983年以降:カレンダーとタイムゾーン付の36ミリバージョン
コンプリケーション付の最初のロイヤル オークは1983年に現れました。36ミリの新しいスタンダードを守っています。
オーデマ ピゲは、まずロイヤル オーク デイデイト、モデル5572を発売しました。これはキャリバー2124/2810 (26ミリ、厚さ4.55ミリ)を搭載しており、これにモデル5577、5581と5584が続きます。ベースムーブメントブランクはジャガールクルトが製造、またカレンダープレートはジュウ渓谷の小さな村、ル・リユーのデュボワ・デプラズが製造していました。開発はオーデマ ピゲの新しい技術部門が担当し、1982年の図面がそれを示しています。同様に進められたロイヤル オーク トリプルカレンダー モデルもキャリバー2124/2825を搭載し、最初のデイデイトモデルと同じケースに収納されていました。いくつかのバリエーションも生まれ、1983年からはムーンフェイズも加わります:5658、5595、25594、25627です。
この36ミリ径は10年後、オーデマ ピゲ特許CH673196Aを使ったタイムゾーンシステムを持つロイヤル オーク初のデュアルタイムでも使っています。キャリバー2129/2845 (26ミリ、厚さ4.85ミリ)を搭載し、バリエーションの25744、25762、25772、25730が続きました。キャリバー2229/2845を搭載したモデル25757と25929が続きます。そしてロイヤル オーク アニュアルカレンダー(モデル25920、キャリバー2224/2814)が1999年に同じサイズで登場しました。
ジェムセットが登場し、ダイヤルが羽ばたく
音楽や料理、デザインにおいても偉大なクラシックとは、祝福され著名で愛され尊重されるものであり、そこから新たな解釈が永遠に生まれるといったものです。変わらずそして同時に新たに生まれかわるロイヤル オークは、1980年代からこの定義にあてはまるものとなりました。
いくつかの要素は残しています:八角形のベゼルと8個のネジ、トノー型のケースと二つの面取り、テーパーをつけたメタルブレスレット。しかしこの頃からサイズは徐々に増え、素材も多様化しました。1979年、ロイヤル オークは最初のダイヤモンドをまといます。ダイヤモンドはベゼルの縁にセットされ、ネジと共存してきらめく効果を与えていることがわかります。デザイン的な観点とは別に、ここには技術的な理由がありました。ウルトラシンモデル5402 のベゼルは、オーバーサイズガスケットを保持するため中空にしていました。ですからその上にジェムセットするには薄すぎたのです。2020年のインタビューで、1973年から2000年代までオーデマ ピゲのスイスにおけるディストリビューションを担当していたレイモン・ボルナンによると、ロイヤル オークへの最初のジェムセットは独立系のジュエラーが行ったそうです。それをル・ブラッシュのアトリエへ持って行って見せました。それからはジェムセットを適応させて時計師たちが自由に解釈するようになったといいます。
1977年以降はダイヤルをますます自由に展開するようになりました。モデル4100バージョンもレディースバージョンもゴールドケースにマッチするカラーを展開し、タペストリーモチーフもラッカーをかけるなどの変化が見られました。
クォーツテクノロジーの出現
ジャック=ルイ・オーデマとジョルジュ・ゴレイはロイヤル オークをクォーツ時代に合わせるべきかどうかについて長い間考えていました。結局1978年にこれを決めるのですが、ジュウ渓谷の人間らしくとても慎重なやり方で進めました。というのは当時この問題は非常にデリケートで論争を呼ぶテーマだったからです。
10年以上続く不景気、金融危機と石油危機、日本、アメリカ、そして中国からのクォーツ攻勢がスイス時計業界を圧迫していました。1974年からはスイス史上初の深刻な危機に陥り、時計産業全滅のリスクも囁かれたほどです。
すべての時計ブランドと同様、オーデマ ピゲも選択を迫られていました。長い歴史、ハイレベルの時計師たちの存在、深いルーツとアイデンティティ、そしてその信念により、この危機の中でスイス伝統の産業を守ろうという方向に意見は向っていました。もう一方で、現在と未来についての探究心、革新を求める精神、そしてチャンスを逃してはならないという感覚もあり、新しいテクノロジーに対応すべきだ、少なくとも試してみるべきではないかという意見もありました。
ですからマニュファクチュールは初期からクォーツに対しては興味を示していたのです。1969年、オーデマ ピゲがSSIHと合意した主な目的は、オーデマ ピゲウォッチのディストリビューションを拡大することでした。しかしSSIHとはクォーツウォッチのプロジェクトを密かに進めてもいたのです。5年の開発期間を経てジャン=フレッド・メイランがデザインしたモデル6001が1974年に発表されました。ゆったりしたケースに大きなキャリバー2510 (31x25ミリ、厚さ6ミリ)が収められていました。この洗練されたハイテクウォッチ「メガクォーツ」は月差1秒という精度のスタンダードを誇るものでした。振動数は2,359,296/秒で、高振動の機械式ウォッチの4倍に相当します。1974年から1978年の間に、このムーブメントを搭載したオーデマ ピゲウォッチは350本以上(1974年は59本)販売されました。
素晴らしい性能にもかかわらず、1970年代にはこのメカニズムが長期的に使われることになるのか保証はありませんでした。テクノロジーの発達のスピードが早く、システムや部品、電池、回路など数年で廃棄しなければならないものもあります。エレクトロニクスは伝統的な機械式時計とは製造メソッドも、部品、素材、スキル、熟練知識も全く異なるものです。時計師たちは一つ一つの部品をていねいに仕上げ装飾していましたが、彼らは電子エンジニアになるべきなのでしょうか?




1978年: 名前を呼ばない「近い親戚」
ロイヤル オークはクォーツの言葉を話すことができるのでしょうか?または話すべきなのでしょうか?ロイヤル オークという革新的なモデルは、クォーツに代わるウォッチを自身のやり方で作り出していました。未来派的なデザインと超越的な精神を伝統の技術(スティールの手仕上げ、世界で最も薄い自動巻きムーブメントなど)に捧げていたといえます。
2006年に書かれた忘備録でジャクリーヌ・ディミエはこう説明しています:「ロイヤル オークのラインにクォーツを入れたいという誘惑は強かった。でも経営陣はこれに反対しました。その代わり、ref. 6005という長方形で面取りエッジのある関連ラインを導入しました。同じブレスレットを使い適切な仕上げをしていましたが、違いを出すためネジではなく4個のスタッドに変えていました」。
ジャック=ルイ・オーデマとジョルジュ・ゴレイが選んだ答は、非常に微妙なバランス感覚によったものだったのです。二人はラウンド型またはオーバルでウルトラシン キャリバー2003を搭載した多くのバリエーションを持つ「クラシック」コレクションというものを、クォーツの存在にもかかわらずできるだけ長く生き延びさせようという目標を持っていました。新しいロイヤル オークというアイコンを守りたいと思い、その超越的なキャラクターこそが新興のテクノロジーの出現にも耐えることができると感じていました。「関連ライン」を作ることにより、最もうまい妥協策を(少なくとも当面は)実現したのです。
最初のロイヤル オーク クォーツ メンズウォッチのケースの仕様書には、モデル6005 (1978年) は1972年以降開発されたキャリバー2511を搭載と記されています。径23.2ミリでその前のキャリバー2510よりずっと小さいのですが、厚さが3.5ミリのため、かなりボリュームを感じさせます。この時点では、クォーツは既に最新のテクノロジーではなく、ラグジュアリーの未来であるとも見られていませんでした。ですからメカニズムの価値については、いかなる疑念も消す努力が必要だったのです。有名な「APの外装師の注意書」(APの修理師のメモ)にはこう強調することが重要だと書かれています:「オーデマ ピゲのマスター時計師がオートオルロジュリーの伝統に基づいて仕上げたクォーツムーブメント」。ウォッチの発売時の広告キャンペーンにもこれが現れています:「クォーツであることは間違いない、でもその前にまずオーデマ ピゲである(...)そしてオーデマ ピゲだけが時計作りの熟練技術により、エレクトロニクスを高貴なものに昇華させることができる」。1980年、こんな広告もありました:「革新、その許される顔」。
でもいったいこのウォッチはロイヤル オークでしょうか?ベゼルは八角形ではないし、8個の六角形のネジもついていません。これに答えてくれる資料があります。1978/1979年以降のカタログで、モデル6005はロイヤル オークと呼ばれず、単純にクォーツ」と呼ばれています。1981年にはこのレンジは広がり、同じような性格のモデルが7種類あります(6005, 6009, 6010, 6015, 6014, 6026と6028)。 バリエーションは14種あり、そのうち10種はキャリバー2502 (17.5 x 13.5 x 1.98ミリ)を搭載しています。ここでもロイヤル オークという名前は出てきません。これらのウォッチは「APクォーツライン」と呼ばれ、少なくとも1985年まで続きます。ですからロイヤル オークウォッチではないけれども「近い親戚」のようなものというのがジャクリーヌ・ディミエの言い方です。
1982年: 機械式とクォーツのクロスロード
このようにオーデマ ピゲは半ばいやいやながらクォーツをロイヤル オークの歴史の中に加えました。上記の試行期間のあと、強まる市場の声に押されてオーデマ ピゲはもう一歩踏み出しました。1980年、3つの「本当の」ロイヤル オークモデルにクォーツキャリバー2502が使われたのです。ジャガールクルトが製造したこの優れた電子部品は、17.2 x 13.5 x 1.98ミリという小ぶりなサイズが際立っており、これを生かして2つの新しいサイズを作りました。
3年間にロイヤル オーク30ミリは5種のモデル(1980年に6008 と6013、1981年に6020、1982年に6033と 6035 )を製造しました。さらに小さなロイヤル オーク26ミリが「ミニ ロイヤル オーク」という新しいペー ジを開き、早速いくつかのモデルが発売されます(1980年に6012 、1981年に6007と6019、1982年に6027 と6034)。そして1997年には20ミリのロイヤル オーク(モデル67075)が登場しました。これらのバリーエーションは全てレディースでした。この頃からほとんどのレディー スロイヤル オークウォッチはクォーツムーブメントを使うことになります。
1982年から1985年までの間、クォーツムーブメントの数量とサイズのバリエーションは増加しました。226ミリロイヤル オーク ウォッチはもっと薄いキャリバー2508 (17.2 x 13.5 x 1.6ミリ) を搭載し、新モデル6131が登場しました。31ミリのバリエーションはキャリバー2711 (17.2、厚さ2.5ミリ、Girard Perregauxのブランク)を搭載していました。さらに重要なことは35ミリというサイズが現れ、いくつかの機械式モデルと同じサイズが初めて現れたことになります。
1982年、キャリバー2506は既にいくつかの35ミリモデルに搭載され(56023, 56036, 56037, 56038, 56039, 56040)、クォーツと機械式がクロスして存在する様相となっています。消費者にとっては初めて、ほぼ同じモデルでクォーツか機械式かを選択することができるようになったわけです。初期のクォーツモデルはダイヤルにクォーツと記されていました。そしてオーデマ ピゲの時計師たちは、機械式ウォッチと同様の丁寧な仕上げを施していました。



新テクノロジーとコンプリケーションのリバイバル
1980年代の製造記録を見ると、ロイヤル オークオーデマ ピゲウォッチの第一世代は、1980年代のオーデマ ピゲの製造のかなりの部分を占めていることがわかります。10年間に6種類の異なるクォーツムーブメントを搭載した少なくとも59種のモデルが発売されています。ムーブメントは2502、2505 (26ミリ、厚さ3.15ミリ)、2506 (26ミリ、厚さ3.15ミリ)、2508とウルトラシン2610 (16.2ミリ、厚さ 1.9ミリ)と2711です。モデルのうち44種はケース、ダイヤル、または両方がジェムセットです。全体的にはオーデマ ピゲのクォーツの割合は1979年の7%から翌年には30%に伸びました。1986年には最高となり、半分がクォーツムーブメントを搭載していました。これ以降、割合は次第に下がって行きます。10年後には20%だけがクォーツウォッチでした。
このクォーツブームというのは、新しいものに敏感な市場からの大きな要望でした。ここで忘れてならないのはこの時期、同時にオーデマ ピゲがクラシックなコンプリケーションの復活に中心的な役割を果たしたことです。ラウンド型や懐中時計だけではなく、ロイヤル オークコレクションの中にもこれは生かされていました。パーペチュアルカレンダーは1984年にロイヤル オークコレクションに加えられました(モデル5554、そして1986年に25636、1987年に25654、1992年に25729など)。1997年の25周年記念を祝い、ロイヤルオークはクロノグラフを投入しました(キャリバー2385、モデル 25850と25865、そして2012年にモデル26320など)。そしてトゥールビヨン(モデル25831/キャリバー2875、2010年にモデル26355/キャリバー2886、 2012年にモデル26510/キャリバー2924など)が加わります。さらにグランドコンプリケーション(2008年にキャリバー2121/2808、モデル26603)、そのすぐ後にダブルトゥールビヨン クロノグラフ コンプリケーション(トラディション デクセレンス モデル25969/キャリバー2893、2003年にモデル25977/キャリバー2889、2004年にモデル26039、2010年にモデル26355/キャリバー2886など)が続きました。
アイコノクラストからアイコンへ
1972年のモデル5402の大胆なコンセプトは、最初の4年間全く変化しませんでした。その時にはロイヤル オークがその後たどるであろう運命を想像することもできなかったでしょう。まず レディースの扉を開け 、次に貴金属、新しいサイズ、ジェムセット、コンプリケーション、そしてクォーツムーブメント。ロイヤル オークは予想外の変遷をとげ、いずれも成功に結びつけたのです。
ジェンタ のデザインは1976年以降常に再解釈され、豊かで生き生きとしたコレクションに成長させただけでなく、個性豊かな二つの追加コレクションを生みました。1993年のロイヤル オーク オフショアと2002年のロイヤル オーク コンセプトです。2022年、ロイヤル オークだけで550のモデルが発売され、さらにそれぞれのモデルに多くのバリエーションが展開されました。二つの関連コレクションを加えると、850ほどのモデルとなります。
編集チーム:オーデマ ピゲ ヘリテージ チーム、ル・ブラッシュ
初版:2022年1月24日










































































































