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ロイヤル オーク カレンダーウォッチ 1983–1996

はじめに
ロイヤル オークが最初に手がけたコンプリケーションはカレンダーです。1983年から1984年にかけて、この有名な八角形のウォッチはデイデイト、月齢、さらにパーペチュアルカレンダーと機能を展開させてきました。この記事では暦というものの社会文化的なルーツについて、またオーデマ ピゲにおけるカレンダーウォッチの歴史、そして1983年から1996年までのロイヤル オーク コレクションの発展を支えた主要なステップについてご紹介します。

1993年に生まれたロイヤル オーク オフショアは1980年代の精神を受け継いでいます。ドイツ市場を担当していた時計師のジェーク・ヴェッテンゲルがこの頃ル・ブラッシュのチームに、「90年代にふさわしいタイムピース」を作ることを要望しました。どんなものかというと「シガレット/オフショア」にインスパイアされたモデルです。これは「シガレット」というブランドのパワフルなヨットのことを指しており、これらのヨットは世界のレースで活躍しています。その中のいくつかはオーデマ ピゲがスポンサーとなっています。このリラックスできる、ただし非常にテクニカルな世界からロイヤル オークオフショアは生まれました。 「オフショア」という名前はデザインを始める前から早々と登録されました。ロイヤル オークの20周年が近づき、1972年にジェラルド・ジェンタがデザインしたこのアイコンモデルに、新たな息吹を届けることが望まれていました。このデザインは入社まだまもない若く才能あるデザイナー、エマニュエル・ギュエに任されました。最初のスケッチは1989年4月のもので、すでにウォッチの主な特徴が表われています。42 mmというオーバーサイズ、幅広の防水パッキン、ラバーガードを被せたリューズ、表面にカーブをつけたリンクのブレスレット。搭載されたクロノグラフはムーブメント専門メーカー、フレデリック・ピゲ社のものです。こうしてスポーティなコンプリケーションを搭載した初のロイヤル オークが誕生しました。 社内ではこのビッグウォッチのプロジェクトには賛否がありました。当時、コレクションの中で最も大きなロイヤル オークは36mm、厚さは7.7mmでした。その中で径42mm、厚さ4.05mmのモデルを出すというのはかなり挑発的なことだったのです。当時、共同経営に就いていたスティーブ・ウルカートとジョルジュ-アンリ・メイランは迷っていました。しかしこの状況を打開したのはエマニュエル・ギュエの強い信念です。 搭載キャリバーには、ジャガー・ ルクルトの安定したキャリバー2126を選びました。このキャリバーはデュボワ・デプラズのクロノグラフのカドラチュールを備えています。複雑な設計であることから外装の開発にも予定より時間がかかり、発売は1992年から1993年に変更になりました。最高の仕上げを施していただけでなく、10気圧防水性を備えた初期のクロノグラフの一つでもあり、ラバーを被せたプッシャー、磁場から守る軟鉄のケージも使われていました。 満を持して1993年のバーゼルフェアで発表されたところ、スキャンダラスな反応が飛び交いました。販売エージェントや小売店はこれは間違いだとし、好意的な人々でも「ビースト」というあだ名をつけただけでなく、ジェラルド・ジェンタはウォッチを壊したのだという声さえありました。一方、若者たちはこのラグジュアリーウォッチをクールで若々しいと感じ、自然で堂々としていると受け止めました。 販売は徐々に伸びて行きました。ここでもイタリア市場が先陣を切り、それにスイス、ドイツ、米国が続きました。このように新しいサイズやコンプリケーション、特別モデルなどを展開する中で、ロイヤル オークオフショアは世界的な評価を受けるようになります。特に著名な俳優、アーノルド・シュワルツェネッガーとの提携による限定モデルを開発し(エンド オブ デイズ、T3、レガシーなど)彼の行う慈善事業に寄付されるようになりました。 これらのモデルにより2000年代の始めにロイヤル オーク オフショアは最初の黄金時代を迎えます。販売数は急激に伸び、スポーツやアートの世界のセレブレティとコラボレーションを行う中で、アイコンとしての地位を確立し、オーバーサイズウォッチの流行をリードしました。

まとめ

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文明のルーツ

もし暦がなかったとしたら、私たちはどうやって生活を進めて行くことができるでしょう?時という基準がなかったら、数日後のミーティングさえ予定することが難しいでしょう。暦がなかったら私たちは自分の年齢さえわかりません。過去の出来事を時系列順に並べることができず、会社の歴史を語ることもできません。ですから数千人の人々が一か所に居住するようになり文明が生まれた時、おのずと独自の暦を作ったのです。

全ての暦は、天空を観察して学んだ自然のサイクルに基づいています。しかしこれをまとめ上げることは非常に困難なことでした。地球、月、太陽のサイクルは互いにぴったりとした単位でシンクロしていないからです。簡単に言うと、地球は太陽のまわりを一年で回ります。しかしこの公転の間に365.2422回、自転します。はみでた0.2422をどうしたらよいでしょうか?さらに複雑なことに、月はその間に地球を12.368回、回ります。一年たつと、最初のスタート時点よりかなり位置がずれてしまいます。このようなズレにどうやって対処すれば良いのでしょうか?

それぞれの暦は異なった方法を採用しました。月のサイクルをベースにしたり、太陽のサイクルをベースにしたり、その両方を組み合わせたものもありました。16世紀に作られたグレゴリオ暦は、次第に世界各地で使われる標準的な暦となりました。大小の月を設け、30日の月と31日の月を交互に繰り返すというものです。さらに2月は調整の月とします。2月だけを28日とし、さらに4年に一度、これを29日とします。これが閏年です。ただしもっと正確に言うと、100年ごと、つまり100で割り切れる年(例えば2100年、2200年、2300年など)は閏年にしません。しかし400年ごと、つまり1600年、2000年、2400年などは閏年とします。これはかなり優れた解決法なのですが、それでも10,000年には3日のズレが生まれてきます。しかしその答は私たちの子孫に出してもらうことにしましょう…

1661年。太陽系の図。 15世紀、ニコラウス・コペルニクスは太陽を中心に置いた宇宙の体系を図示しました。アンドレア・セラリウス、「大宇宙の調和」。アムステルダム、1661年。チェスター ビューティ ライブラリー レア ブックス:AI788、プレート22。

1821年太陽系 15世紀、ニコラウス・コペルニクスは太陽を中心に置いた宇宙の体系を図示した。フランソワ・ドラマルシュ「世界のいくつかの体系の簡易名を付与した球と球体の使い方」パリ、1821年プレートn°1、15ページオーデマ ピゲ ライブラリー

1776年木に描かれた古代の年時記のエッチング 15世紀のフランシスコ会修道士の作と思われる。ゲブラン法廷、「暦または年時記に見る市民生活と寓話の歴史」。プレート IVパリ、1776年 プレートn°1、15ページ。オーデマ ピゲ ライブラリー

1726年。地球と太陽系の図 経度を記すことで時空間の概念を結びつけた。ヘンリー・サリー、「経度の発見と自然の仮説に関する論考」。パリ、1726年。 オーデマ ピゲ ライブラリー

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天空と大地のメカニクス

天体表現の表示は初期の機械式タイムピースから始まっています。有名なアンティキテラ メカニズムは紀元前140年頃、ギリシャで作られました。再現したものによると、このメカニズムはエジプト暦だけでなくギリシャオリンピアード暦も表示することができ、さらにそれらの暦の年の相関関係も表示することができました。その他には11世紀の中国の数学者スー・スングが発明した有名な水時計、そして1410年以来の著名なプラハ アストロノミカル クロックがあります。

「アストロノミカル」コンプリケーションと呼ばれるものの中には、日の出と日没時刻、イクエーション オブ タイム(太陽時)、イースターデイト表示など、多くの発案と特殊表示があります。しかし19世紀以降の最もクラシックなカレンダーコンプリケーションというと、パーペチュアルカレンダーでしょう。この追加機能(または文字盤)は曜日、日付、月、そして多くは月齢、閏年を含んでいます。1世紀に一度だけ、例えば2100年、2200年、2300年に調整すればよいというメカニズムです。

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オーデマ ピゲにとってのパーペチュアルカレンダー

パーペチュアルカレンダーはオーデマ ピゲが開発した最も初期のコンプリケーションの一つです。1875年に最初のアトリエがオープンする前に、共同創設者の二人、ジュール=ルイ・オーデマとエドアール=オーギュスト・ピゲは、学習用マスターピースにアストロノミカルコンプリケーションを加えていました。

その頃からオーデマ ピゲは継続してパーペチュアルカレンダーウォッチを作り続けています。ただし1世紀ほどの間はこの機能は殆ど懐中時計のみのものでした。1924年から1969年の間に出荷された208本のカレンダーウォッチのうち、パーペチュアルカレンダーを備えていたのは12本だけです。これらは全て1955年と1957年で、閏年を初めて表示した有名なRef.5516です。

1978年から状況が全く変わりました。

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キャリバー2120/2800:伝説の誕生

1970年代半ば、オーデマ ピゲの3人の時計師が大きなプロジェクトを内輪で立ち上げました。その3人とはコンプリケーション時計師のミシェル・ロシャ、アフターサービス初代部門長のウィルフレッド・ベルネイ、初代技術部門長のジャン=ダニエル・ゴレイです。クォーツ危機がスイス時計産業を弱らせていたこの時、3人は現代的なウォッチにパーペチュアルカレンダーを搭載すべく、この再開発に取り組むことを提案しました。数ヶ月の調査の後、オーデマ ピゲの経営に就いていたゼネラルマネジャーのジョルジュ・ゴレイに計画を提出しました。彼は驚くと共に強い印象を受け、自信を持ってこの159本タイムピースを、モデルを発表する前から製造にとりかかるよう要望しました。オーデマ ピゲのコンプリケーションでは初めてのことです。

1978年に発売されたRef.5548は、当時世界最薄の自動巻きパーペチュアルカレンダー(3.95ミリ)を組み込んだキャリバー2120/2800を搭載していました。メカニズムは二つの部分から成り立っています:別の記事で紹介されている2120ベースムーブメント(2.45ミリ)と、ダイヤルの下部分の2800パーペチュアルカレンダー(1.5ミリ)です。ダイヤルに隠れていますが、この追加メカニズムは手仕上げの装飾が施されています:スティール部品はブラッシュ仕上げで斜面磨き、地板はサーキュラーグレイン、月はギルドとエナメル仕上げです。

その成功は予測を大きく上回りました(下記の表を参照)。15年の間にキャリバー2120/2800は7000本のオーデマ ピゲ ウォッチ、110以上のモデルに搭載されました。そのうち800本以上はさらにオープンワークだったのです!このキャリバーの存在は、スイス時計産業における伝統的コンプリケーションの復活への道を拓きました。

1978~1996年。パーペチュアルカレンダー キャリバー2120/2800とそのオープンワーク バリエーション2120/2800SQの製造。

年はケーシングしたウォッチの販売時期。オーデマ ピゲ アーカイブ。

 

  2120/2800 2120/2800SQ
1978 4   4
1979 113   113
1980 154   154
1981 238   238
1982 278 21 299
1983 431 33 464
1984 441 42 483
1985 550 35 585
1986 588 37 625
1987 543 85 628
1988 605 67 672
1989 561 60 621
1990 550 59 609
1991 435 56 491
1992 354 50 404
1993 294 73 367
1994 227 88 315
1995 124 68 192
1996 18 17 35
6'508 791 7'299
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すべてはフクロウから始まった

コレクターのコミュニティや歴史家たちは、1970年代のオーデマ ピゲの最大の功績はロイヤル オーク(1972年)とパーペチュアルカレンダー キャリバー2120/2800 (1978年)であると言います。この時から両者が出会い融合することは避けられない運命だったのでしょう。まず1980年の始め頃、ロイヤル オーク39ミリはやや少なくなり、その代わりに小さなモデル(35ミリ、後に36ミリ)が増えていきます。Ref.5402の最後の75本は、1983年から1986年の間に製造されました。ただしキャリバー2120/2800は39ミリのケースを必要としました。さらにスティールのボディと防水性をもつロイヤル オークは、スポーツウォッチと位置づけられています。つまり時計師としてはぜひクロノグラフを加えたくなるというカテゴリーです。

しかしその期待を裏切り、ロイヤル オークの最初のコンプリケーションタイムピースは、クロノグラフでもパーペチュアルカレンダーでもありませんでした。1983年に発表された36ミリのRef.5572は、スモールコンプリケーションといわれるものを備えています。曜日とデイトはそれぞれのカウンターに針で表示。カウンターがとても大きく特徴的であったため、コレクターたちはモデルに夜間二つの大きな目を光らせる「フクロウ」のネックネームをつけました。

ロイヤル オーク デイデイト5572 は11½-リーニュ (26ミリ)の自動巻きキャリバー 2124/2810を搭載しています。これはルクルト& Cieのブランクで、このグループは1977年にロイヤル オーク4100 (35ミリ、キャリバー2123)に導入され、長期間使用されて多くの派生キャリバーを生み出しました。オーデマ ピゲの総カタログに記載される1年前の1983年に、このウォッチは600本以上がすでに出荷されていました。市場の要望があるという強い自信があった様子が見てとれます。最初の年から、多くのバリエーションが用意されていました。スティール、イエローゴールド、バイカラー(スティールとイエローゴールド)、ホワイトゴールド、そしてダイヤルはホワイト、ブラック、ギヨシェまたはスムーズなどです。

翌年、ロイヤル オーク デイデイト ムーンフェイズ 25594 ではデイデイト表示に加え、月の窓表示が登場しました。この36ミリのモデルがカタログに残り、20年以上もコレクションの中核であり続けたことは、ロイヤル オークの歴史の中で記録的なことです。

でもパーペチュアルカレンダーについてはどうだったのでしょうか?

6

市場から生まれたアイデア

世界各地の主要都市に住む洗練された顧客層を魅了するため、ル・ブラッシュの時計師たちは世界の潮流に触れ、市場と対話することが求められました。それにより様々なトレンドをキャッチするだけではく、トレンドをリードして行くことができたのです。

 

ロイヤル オーク パーペチュアルカレンダーも例外ではありません。市場の要望から生まれたものでした。最初のアイデアは米国から来ました。このことを示唆しているのがオーデマ ピゲ アーカイブの“AP.2NY/SU”と題されたコピーです。これはAP New York、そして営業部長のスティーヴン・ウルカート Steven Urquhartの頭文字であると思われます。1981年1月9日の日付のこの資料には、Ref.5402の写真の上に描いたジェムセットベゼル付のロイヤル オーク パーペチュアルカレンダーのスケッチが見られます。

この魅力的なアイデアは人々の心を捉えました。ウォッチサロン、エキシビション、イベントの折にリテイラーや顧客たちとの間で大いに話題になりました。ただしアトリエの時計師たちは、このようなプロジェクトは机上で考えるよりも実際は技術的にずっと難しいことを知っていました。

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辻褄が合わない重要な事実

この記事の執筆前の調査で、特に差し障りはないけれども辻褄の合わない事実がわかり、オーデマ ピゲ ヘリテージチームの関心を引きました。ロイヤル オーク25554STウォッチのナンバリングですが、通常は2つだけ(ロイヤル オーク ナンバリングの記事参照)のケースナンバーが、3つエングレービングされています。ラージケースナンバーは内側に隠されており、ウォッチの外側に刻まれている2つのRef.番号は25554と5402です。

その理由はシンプルですが優れたものです。初期の25554のスティールケースは最新のロイヤル オーク5402シリーズDに使われるはずでしたが、結局パーペチュアルカレンダーを搭載することになりました。Ref.5402は世界最薄の自動巻きデイトキャリバーを搭載するはずだったのに、これに時計師たちがどうやって自動巻きパーペチュアルカレンダーを入れることができたのかに驚かされます。

1979年から2022年までコンプリケーションアトリエで働いた時計師のジャン=クロード・ルシャは、この3つのウォッチは最初は試作的存在だったと言います。当時アトリエの責任者だったレジ・メイランは、3本から300本という製造体制に数年で移行することとなった大きな挑戦を今も思い出します。ただし1983年8月に技術部では最初のケースデザインをスケッチしていました。カウントダウンが始まっていたのです:モデルはもう一年弱にせまった1984年4月に完成を目指していました。

1984年頃。ロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー25554ST。 ケースナンバーはRef.5402からのD1494、そしてRef.25554からのナンバー45となっている。パーペチュアルカレンダー:曜日、デイト、月、ムーンフェイズ。超薄キャリバー2120/2800 (3.95ミリ)、ムーブメント273849。ブレスレット344。シルバーカラー ダイヤル。39ミリケース。オーデマ ピゲ ヘリテージ、inv.2142。

1984年頃。ロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー(5554STまたは25554)としてケーシングされたRef.5402STウォッチ。 オーデマ ピゲ アーカイブ。

1983年。中枠 5554 (25554)の図面。 1983年8月24日付の資料。オーデマ ピゲ アーカイブ。

1983年。中枠 5554 (25554)の図面、1983年8月24日。 3つのコレクターはネジと同じ高さ、またはネジと交差する位置。オーデマ ピゲ アーカイブ。

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0.1ミリを絞る挑戦

パーペチュアルカレンダー搭載の自動巻きキャリバー 2120/2800の厚さは3.95ミリで、このカテゴリーでは世界で最も薄いものです。それでもキャリバー2121(3.05ミリ)より0.9ミリ厚いものでした。Ref.5402のケースにこのキャリバーを搭載するスペースは既に限られており、総厚は7.1ミリでした。設計エンジニアと時計師たちは0.1ミリでも絞るべく努力を重ねました。

モノコック(モノハル)ケースを維持し、薄いフォルムのマスターピースの品格を保っています。ベゼルは2.5ミリから0.6ミリ増え(ラバーガスケットのスペース0.5ミリを含む)3.1ミリになりました。サファイアクリスタルの厚さを2ミリから0.9ミリと大きく減らし、そのためベゼルとの嵌合システムをヒールタイプから45度のドームベゼルに変更しました。

ダイヤルについては、時計師たちはデザイン的な理由でタペストリーパターンのダイヤルではなく、Ref.5548(上を参照)と同じスターン製のベースプレートを使うことを選びました。これは厚さ0.3ミリでRef.5402のダイヤルと同じですが、カウンターはデイト、曜日、月の針のスペースをとるため0.1ミリ削り下げています。よく見るとアワーマーカーの薄さ、そしてAPロゴの不在にも気がつきます。ロゴをなくしたのはダイヤルをすっきりとさせるため、そして総厚をゼロコンマ数ミリでも減らすためでした。

その結果得られた成果:ロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー25554は総厚わずか7.5ミリ。Ref.5402よりわずか0.4ミリ増えただけです。

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コレクターを修正?

パーペチュアルカレンダーのメカニズムは、4年の周期または1461日をカバーするようプログラムされています。数週間または数ヶ月、ウォッチを着けなかった場合、ユーザーはカレンダーを合わせなければならず面倒でした。同じプッシャーを12回も押さなくてもいいよう、時計師たちは小さなツールで操作する別個のコレクターを開発しました。キャリバー2120/2800では10時位置のコレクターによりデイトと曜日を同時に調整します。8時位置のコレクターは曜日だけを調整、4時位置のコレクターはムーンフェイズ を調整します。

これらのコレクターはケースミドルの周辺に目立たないように位置しています。しかしロイヤル オークに関しては、ケースの外側とムーブメントの間隙はケース構造によりかなり大きくなっています。その間隙に加え、この空間はケースをベゼルからケースバックまで貫通している六角形のネジによりさえぎられます。洗練された仕様ではありますが、ロイヤル オーク パーペチュアルカレンダーの開発にとって実は大きな障害の一つでした。

一方Ref.5402の大きな防水シールは、コレクターとぶつかるか過剰に圧縮されてしまうため採用されませんでした。その代わりにメタルのリングシールを使い、二つの従来型の丸径リングで囲みました。コレクターはサークルの中に押し込まれているので、水が入らないよう完璧にフィットしなければなりません。  キャリバーの構造を変更すべきか、またはロイヤル オークのデザインを見直すべきか?結局バランスのとれた解決法が見つかり、双方を満足させる結果が得られました。いくつかの六角形のネジの径を縮小し、うち2つは貫通させず単に装飾的な役割にとどめました。10時位置ではコレクターのスペースを作るため、4時位置ではケースの圧力バランスをとるためです。

 

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2フェイズの誕生

1984年4月5日、バーゼルフェアの開幕日、オーデマ ピゲは初めてのロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー、Ref.25554を発表しました。プレスリリースにはスティールモデルの写真が掲載されています。洗練されたダイヤル、光沢縁のデイデイト、月インジケーターが見えます。ただし製造記録簿では1984年に販売された25554ウォッチは1本のみ、1984年12月のイエローゴールドバージョンでした。歴史家にとっては、プレスリリースと他の情報との辻褄が合わないことは大いに好奇心をそそるものです。どういうことだったのでしょうか?

まず知っておきたいことは、1980年代には新商品は年に一度、4月のバーゼルフェアで発表されていました。フェアではオーデマ ピゲのディストリビューター、エージェント、リテイラーたちが集まり新モデルを評価、コメントし、ユーザーの意見などを表明しました。マニュファクチュールはフェアで受けた注文に基づき、製造計画をていねいに実施していました。

バーゼルで発表される新モデルは、まだプロトタイプやモックアップでしかないこともよくありました。中には全く製造されないものもありました。Ref.25554の防水性についてまだ調整の必要があるとされたことが想像できます。1984年5月23日に、ブランドのドイツのエージェントであるクルト・マイスがル・ブラッシュに警告のテレックスを送りました。「これはスポーツウォッチだ。もし防水でなかったら葬らざるを得ない」メッセージは受信され、そして是認されました。ケースは見直しがされ、時計師たちは全力を尽くして防水性の複雑な方程式を解こうとしました。ウィークポイントは依然としてカレンダーのコレクターとリューズでした。

その間、ジョルジュ・ゴレイはイタリアにおけるブランドの未来について準備していました。

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それはイタリアから…

1984年6月6日オーデマ ピゲ アーカイブで発見された社内文書に、ロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー ウォッチの一部をイタリア市場に割り当てたいとの意向が示されています。「イタリア市場でロイヤル オークを再導入するにあたり、Ref.5554を50本導入する決定がなされた。スティールバージョンにクリスタルグレー ダイヤル」(注: Ref.5554はこの後すぐ25554と改称されるので、この記事では以降、25554を使うこととする)。

なぜイタリア?1970年代、イタリアはロイヤル オークの誕生に向けて大きな役割を果たした市場でした。イタリアではサイズの大きい(39ミリ)Ref.5402はあまり人気がなかったのですが、小さいサイズになると急に人気が出ました。特に1976年からの8638(29ミリ)、そして1977年の4100(35ミリ)です。1980年代の始めからイタリアでは大きめのウォッチが流行し始めました。それには理由があったのです。工業界の大物でファッションパイオニアでもあったジャンニ・アニェッリは、49ミリのオーデマ ピゲ25555ポケットウォッチにストラップをつけ、堂々とシャツの袖の上に出して着けていました。

25554STシリーズをイタリアに割り当てたのは、イタリアでのオーデマ ピゲのディストリビューションが成果を上げていたことにもよります。歴史を振り返って見ると、1970年以降ル・ブラッシュから出荷されるウォッチは、大グループSSIH(記事「ロイヤルオークの誕生」を参照)に属するトリノの会社のカルロ・デ・マルキがディストリビューションを行っていました。しかし1983年、クォーツ危機の最中にSSIHは財務状況が悪化しました。生き残るためにもう一つの大きな時計グループ、ASUAG(Allgemeine Gesellschaft der Schweizerischen Uhrenindustrie AG)と合併してSMH(Société de Microéléctronique et d‘Horlogerie)となりました。これが1998年にスウォッチグループと改称されます。しかしまだ厳しい状況の中ですから、とりあえず戦略を立て直すことが必要でした。SSIHグループはオーデマ ピゲに、ディストリビューションに関しては自社ブランドのオメガに絞ることを通知しました。

オーデマ ピゲのマネージングディレクター、ジョルジュ・ゴレイはイタリア市場の新たなエージェントを探し始めます。1985年1月1日、アレッサンドロ・ヴィラがイタリアの独占エージェントとなりました。この選択は全く偶然ではありません。ミラノの宝飾店の三代目であるアレッサンドロ・ヴィラは1979年にジェラルド ジェンタ ヴィラ(GGV)社を設立しました。この会社がジェンタ ブランドをイタリアに導入しました。

イタリア向けの特別シリーズを作ることを決めたのはバーゼルフェアでモデルが正式に発表されてから2か月後、そしてディストリビューター変更の少なくとも6か月前です。この特別シリーズのことが、その交渉の一部であったであろうことは容易に想像できます。この独占販売権を獲得するにあたり、アレッサンドロ・ヴィラは鋭い勘を働かせました。多くのパートナーシップやエキシビション、イベントを開催する積極的で優れたパートナーであることをオーデマ ピゲに示しました。その努力の結果、イタリアは特にコンプリケーションに関してオーデマ ピゲの重要な市場となることに成功しました。1990年代半ばにフランコ・ズィヴィアーニが会社を買収し、オーデマ ピゲ イタリアSpaと改称。その後2000年代に、オーデマ ピゲ グループの子会社となりました。

ただしそのかなり前に、イタリア市場で初めての大きな成功がありました。それはスティールのロイヤル オークパーペチュアルカレンダーで、1985年2月から12月の間にル・ブラッシュから出荷されたものです。

 

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洗練されたマスターピース

Ref.25554のスティールバージョンはイタリアの新しいエージェントに割り当てられていたため(契約は1985年1月開始)、1984年7月のオーデマ ピゲ カタログにはイエローゴールドのバージョンが記載されました。

そのイラストに添えられたテキストは:「オーデマ ピゲにとってこれは時計づくりの最後の言葉」というものでした。広告ディレクターのハインツ・ハイマンはロイヤル オーク パーペチュアルカレンダーは時計のミニチュア化のエクセレンス、現代的デザイン、装飾、そしてエレガンスを確かに体現していると表しています。その言葉は正しいでしょう。しかし、これがコレクションの「最後の言葉」ではなかったことは、その後の変遷が証明することになります。

1984年7月。ロイヤル オーク25554。 オーデマ ピゲカタログに初めて登場したRef.25554はイエローゴールドバージョンだった。米国市場向け、価格表ではUSD 27,000。オーデマ ピゲ アーカイブ。

1984年頃。ロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー25554ST。 ケースナンバーはRef.5402からのD1494、またRef.25554からのナンバー45。パーペチュアルカレンダー:曜日、デイト、月、ムーンフェイズ。エクストラ シン キャリバー2120/2800 (3.95ミリ)、ムーブメント273849。ブレスレット 344。シルバーカラー ダイヤル。39ミリのケース。オーデマ ピゲ ヘリテージ、inv.2142。

1984年頃。ロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー25554ST。 ケースナンバーはRef.5402からのD1494、またRef.25554からのナンバー45。パーペチュアルカレンダー:曜日、デイト、月、ムーンフェイズ。エクストラ シン キャリバー2120/2800 (3.95ミリ)、ムーブメント273849。ブレスレット 344。シルバーカラー ダイヤル。39ミリのケース。オーデマ ピゲ ヘリテージ、inv.2142。

1985年。ロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー25554ST。 パーペチュアルカレンダー:曜日、デイト、月、ムーンフェイズ。エクストラ シン キャリバー2120/2800 (3.95273841ミリ)、オリジナルムーブメント。ブレスレット 344。シルバーカラー ダイヤル。39ミリケースB292282、D1495、no.46。1985年12月にフィンタイム(イタリア)に販売。2022年5月6日、ジュネーブのフィリップスのオークションで680,400で落札。画像 © Phillips

1985年。ロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー25554BA。 1985年3月、オーデマ ピゲはブランドの従業員とリテイラー向けの最新のハウスマガジン「AP News」で、Ref.25554BAを紹介。オーデマ ピゲ アーカイブ。

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Ref.25554から25654へ

1984年から1992年の間に270本製造されたロイヤル オークパーペチュアルカレンダー25554は大きな成功を収め、クラシックなコンプリケーションとしてのロイヤル オークの歴史の重要なページを綴りました。

このマスターピースは、メンテナンスを手がけたカスタマーサービスの時計師たちにも強い印象を与えています。最初に出荷された110本のうち、防水性の問題で3年間に16本がル・ブラッシュに戻ってきました。2023年まで復元アトリエを率いていた時計師/復元師のフランシスコ・パザンダンは、防水性を確保するために、時には10回ほどもケーシングをやり直したことを覚えています。アトリエの同僚たちと共に、改善のためのアイデアをいくつか出しました。その中にネジ込み式コレクターがあります。

同時に設計部も防水システムを見直していました。1987年に発表したロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー25654は、太いメタルの中枠と太いラバーシールを組み合わせています(イラスト参照)。ケースがやや厚いこと(8.3ミリ)を除いては、このロイヤル オークはRef.25554と何ら変わりありませんでした。今日でもこの二つのモデルを見分けることのできるコレクターは少ないでしょう。これはかなり難しいことで、特に1980–1990年代には多くの25554ウォッチがル・ブラッシュにメンテナンスに戻った時に25654のバリエーションに改造されたからです。

ロイヤル オーク25554が土台を作った後に、Ref.25654がパーペチュアルカレンダーの成功を呼んだと言えるでしょう。12年間に851本がル・ブラッシュから出荷されました。カタログにはスティールとイエローゴールドの2バージョンしか記載されていませんが、実際には多くのバリエーションがありました。ギルド、シルバーカラー、ローマ数字のダイヤル、バイカラー、プラチナの38ミリ…このうちの1本は2022年5月ジュネーブ フィリップスのオークションで1,022,200スイスフランで落札されました。

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Ref.25636、見せるアート

20世紀始めに腕時計が一般化してきた時、ウォッチの中の機械式ムーブメントを一般の人は見ることができないということを残念に思う時計師たちが多くいました。防水性をより高めたケースに収められダイヤルの下に隠されているムーブメント。技術的にも装飾面でも驚異であるこの素材を見ることができるのは、ウォッチを開ける時計師だけでした。

しかしクォーツウォッチが現れてきてからはメカニズムを見せるということがまた難しくなってきました。ムーブメントを見せるということはウォッチの価値を大きく高めるだけでなく、クラフツマンたちの仕事を評価することができ、タイムピースを時計づくりの偉大な伝統の中に正しく位置づけることができます。キャリバー2120の誕生に関する記事の中で、1972–1973年にオーデマ ピゲの何人かの時計師たちが、オープンワークのアートを再興させることを決めた時の様子が描かれています。

そして1986年になり、ようやくフルオープンワーク キャリバーを搭載した最初のロイヤル オークが登場しました。パーペチュアルカレンダー搭載のRef.25636は伝統時計づくりの熟練を惜しみなく体現していました。そこにはオープンワーク、コンプリケーション、ミニチュア化、そしてロイヤル オーク独特のコンテンポラリーデザインという全てが凝縮されていたのです。

キャリバー2120/2800のオープンワークとエングレービングは、熟練のクラフツマンが200時間以上かけて完成させました。10年間にRef.25636が313本も製造され、並行して他のオープンワークウォッチも製造されていたことを考えると、メイランのアトリエはフル稼働を続けていたことが想像されます。

ウォッチ愛好家の方々は、洗練された回転錐、ブリッジのオープンワークとエングレービング、全てのスティール部品の完璧な磨き面取りなどを見ることができます。これらを見ることができるよう、サファイアケースバックを採用して透明性を高め、ダイヤルもサファイアとしました。針については、他のパーペチュアルカレンダーモデルにならい蓄光処理をせず、ポリッシュゴールドの時刻の針に対し、ブルースティールとしてカレンダー機能を引き立たせるようにしました。

 

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Ref.25636のバリエーション

ロイヤル オークパーペチュアルカレンダー25636に導入されたサファイア ケースバックにより、ケースはやや厚みを増し8.8ミリとなりました。(Ref.25654は8.3ミリ)。しかしこれによりデザインの幅が広がり、Ref.25636のケースは5つのモデルを誕生させました。

うち4つは単品製造です。1986年、Ref.25651はベゼル縁にジェムセットを施したバージョンを加えました。1989年、ロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー25688は バゲットカットダイヤモンドのフルセットバージョンを加えます。その翌年、Ref.25694はベゼルにダイヤモンドとブルーサファイアをセットしたバージョンを追加、そして1994年には25775がギヨシェ模様のクル・ド・パリで登場します。

しかしRef.25636の最も重要なバージョンは、何といってもロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー25686でしょう。前のモデルをオープンワークにしたこのバリエーションのダイヤルは、洗練され多様化しています。ブルーまたはピンクのマザーオブパール、はっきりした「トスカーナブルー」のダイヤル、プチタペストリーのモチーフ、ギルド、ピンクまたはバイカラーのダイヤルなどです。全部で299本が1989年から1998年の間に出荷されました。

Ref.25636とそのオープンワークバージョンが最も豊かな創造性を展開したのは、素材においてかもしれません。1986年から1997年の間に、これらのモデルは7種類の異なる素材で展開されました。イエローゴールド(BA)、スティール(ST)そしてプラチナ(PT)が1980年代に導入されています。1991年にはピンクゴールド(OR)が加わり、同時にプラチナとピンクゴールドのコンビネーション(PR)、1997年にはその逆のコンビネーション(RP)が加わりました。1994年のSPバリエーションではブラッシュ仕上げのスティールとミラーポリッシュのプラチナが並びました。

もう一つ興味深いディテールがあります。オーデマ ピゲ ヘリテージ チームはこれまで、39ミリのロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー ホワイトゴールド バージョンの形跡を全く確認していないのです。

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ダイヤルについて

オーデマ ピゲのディストリビューション アーカイブでは、各ウォッチのダイヤルの仕様は1995年頃から記載されるようになり、2005年には記載が義務となりました。その前の期間については、どのダイヤルがどのウォッチに組み付けられ、ル・ブラッシュから出荷されたかを明確に知ることは往々にして困難です。

ロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー ウォッチは当時の洗練されたクラフツマンシップを見せてくれます。同じダイヤルプレートからカラー、仕上げ、トランスファー印刷など、多くのバリエーションに仕上げることができます。さらに同じダイヤルのRef.でも、担当したクラフツマンのインスピレーションやスキルによってかなり違いがあります。そして時にはモデルに別のコレクションからのダイヤルを組み合わせることもありました。例えばオパリンゴールドダイヤルは、ロイヤル オーク25554BA、そして丸型ウォッチ25550BAや25557BAに、またロイヤル オーク25654BA、さらに25686BAにも使われています。

別の例を見てみましょう:刻み模様の「トスカーナブルー」ダイヤルです。この小さなマスターピースは、彫版師が真鍮のプレートに細かい柄をエングレービングしたもので、同じ柄を他の多くのモデルにも使っています。ノミやその他のツールを使い、素材を彫り出したり押しつけたりしながら装飾柄を描きます。拡大鏡で見ると無秩序のように見えますが、全体を見ると洗練され調和のとれた図柄になっているのです。プレートはその後ガルバニ浴に浸けて「トスカーナブルー」、または「ブルー7番」と呼ばれるカラーを出します。

刻み模様の「トスカーナブルー」ダイヤルのパーペチュアルカレンダーモデルは1980年代始めから丸型ウォッチとして作られ、その中に25561PTと5568があります。これは1990年代始めになってロイヤル オークコレクションに入りました。まずRef.25654PT、それから1994年に25686SPです。1995年以降は、ロイヤル オーク ジュビレー Ref.14802のプラチナバージョンに「トスカーナブルー」ダイヤルが使われましたが、この時はパーペチュアルカレンダーはついていません。

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真の価値のあるウォッチ

1972年、ロイヤル オーク5402は3,300スイスフランという価格で時計業界を驚かせました。ゴールドウォッチよりも高く、世界で最も高価なスティールウォッチということで話題を呼びました。しかしその価格の理由を知っていた人々もいます。非常に優れたムーブメント、最高に洗練されたダイヤル、とても複雑なケーシング、その装飾的なクオリティがスティールを貴金属のステータスに引き上げたということです。

10年ほどのちにロイヤル オーク パーペチュアルカレンダーが同じ状況で登場します。高度な装飾のレベルは最初のロイヤル オークキャリバー2120/2800に匹敵し、全体の複雑性とあいまってその価値を引き上げました。例えば、1988年発売のRef.25654は24,900スイスフランという価格がついていました。しかし今回は誰も驚きませんでした。なぜなら時計業界はクォーツ危機を経て新たな時代に突入していたからです。ケースの素材はもちろん価値の大きな要素ではありましたが、最も求められ、価格に見合うとされ、クオリティが評価されたのは、熟練技術とイノベーションという希少な要素でした。

1994年。ロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー25636ST N°16/25。 パーペチュアルカレンダー:曜日、デイト、月、ムーンフェイズ、月齢。キャリバー2120/2800、自動巻きエクストラ シン(3.95ミリ)のオープンワークムーブメント391011。ブレスレット 944。39ミリケース D42001。スティールとプラチナ。1994年10月、ベルギーの顧客に販売。2022年5月6日、ジュネーブ フィリップスのオークションで落札、ロット番号42。© Phillips。

1988年。ハイジュエリー ロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー オープンワーク25659BA、N°03、ダイヤル側 パーペチュアルカレンダー:曜日、デイト、月、ムーンフェイズ、月齢。キャリバー2120/2800自動巻きエクストラ シン(3.95ミリ)のオープンワーク、ムーブメント274089。ブレスレット 344。39ミリケースC31040、18Kイエローゴールド、ブリリアントカット ダイヤモンドをフルセット1988年12月15日に販売。2022年5月6日、ジュネーブ フィリップスで落札、ロット番号72。画像© Phillips。

1985年。オーデマ ピゲの広告 この広告では象徴的な伝統技術を体現する3つのタイムピースを紹介。ジェムセット、オープンワーク、そしてコンプリケーションである。ヨーロッパスター欧州版、n°150-2、1985年、6ページ。

1988年。ロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー オープンワーク25636PTと25659BA。 宣伝パンフレットの写真、ロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー オープンワーク モデルを二つ並べている。一つはプラチナ、もう一つはイエローゴールドのフルセット。オーデマ ピゲ アーカイブ。

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その後の世代

1978年、メカニズムをできるだけ薄くするため、キャリバー2120/2800の設計者たちは閏年表示を入れないことを選びました。オーデマ ピゲは1955年以来、この分野でのパイオニアであるにもかかわらずです。しかしウォッチを調整するために年の表示が必要となり、そのニーズがますます高まってきました。オーデマ ピゲは1996年にキャリバー2120/2802でこれを解決します。1996年以降の物語は興味深いもので、もっと詳しく有意義な調査を必要とするでしょう。でもその感触を得ていただくために、この物語の重要なステップとなったいくつかの出来事をご紹介します。

始めは二つのモデルが独占していました:ロイヤル オーク25820とそのオープンワークバージョンのRef.25829です。これは2000本以上が製造され、1996年から2013年の間に販売されました。そして注目しておきたいのはロイヤル オーク ジュビレー20周年記念Ref.25810OR。特に外周の52週表示が注目されます。またレディースロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー33ミリのRef.25800 (1996年)、そしてRef.25932です。その他の特別な表示としては、1999年のアニュアルカレンダー(25920)、そして2010年のロイヤル オークRef.26603のイクエーション オブ タイムがあります。

このように豊かな創造性が発揮され、21世紀直前にもキャリバー2120が登場しましたが、ロイヤル オーク カレンダーウォッチへの市場の興味は少しずつ薄れ始めました。2012年のロイヤル オーク40周年記念の年には、オープンワークモデルのRef.25829タイムピースは13本しか売れませんでした。そしてオープンワークモデルのRef.25820のバリエーションはル・ブラッシュから3年間、出荷されなかったのです!ロイヤル オークパーペチュアルカレンダーの灯火は消えつつありました。チームメンバーは、オーデマ ピゲがパーペチュアルカレンダーを毎年500本売っていた頃のことを、郷愁と共に思い出していました。もうこの章は終わったのだと思った人も多かったのです。

しかし2012年に経営に就いたフランソワ=アンリ・ベナミアスは、ここにまだ未来があると強く信じていました。2015年に、時計師たちは新世代のキャリバーを提示しました。2120をベースとし、5134と名付けられたものです。これが、デザインの新たな見直しをしたロイヤル オーク26574に搭載されました。市場は反応を示しました。この発売にあたって、ブランドのカレンダー機能の歴史を語る オーデマ ピゲ カレンダーウォッチというパンフレットを作成しました。2018年には「オーデマ ピゲ 20世紀のコンプリケーションウォッチ」という書籍が出版されます。このようなコミュニケーションもあいまってコレクターたちの興味は高まりました。このリバイバルのハイライトは2017年のロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー ブラックセラミックの登場です。この時からルネッサンスは確かに起きるであろうこと、そしてその成功はそれまでにない大規模なものとなることが予想されました。

同時にパーペチュアルカレンダーのメカニズムは完全に見直しがされ、2018年にロイヤル オーク自動巻きパーペチュアル ウルトラ シンRD#2(6.3ミリ)が登場します。5133はわずか2.89ミリで、それまで40年間にわたり記録を保っていたキャリバー2120/2800(3.95ミリ)の記録を破ります。これは記録というよりも、むしろメカニクスの構造、アーキテクチャーという新たな次元のアプローチによるものです。

 

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まとめ

ロイヤル オーク カレンダーウォッチはコンプリケーションウォッチの偉大な伝統に属するものです。古代からの天文学に基づくタイムピースのアートを継承しており、そのルーツは数千年前の暦と文明の歴史に端を発します。

カレンダーを備えた最初のロイヤル オークは1983年に登場しました。曜日とデイトを大きなカウンターに表示していたので、「フクロウ」とのニックネームがつきました。6時位置にムーンフェイズ があるRef.5594 (25594)バリエーションは、20年以上カタログに残るという記録を打ち立てています。1984年、ロイヤル オークはパーペチュアルカレンダーというクラシックなコンプリケーションを初めて登場させました。キャリバー2120/2800をロイヤル オーク5402(厚さ7.1 ミリ)のケースに入れるという無謀な試みに挑んだRef.25554の誕生は、そう簡単なものではありませんでした。ル・ブラッシュの時計師たちの献身的な努力と才能により、新たに歴史のページが書きかえられることになったのです。

1984年から1994年の間に、12種のモデルが生まれ、1,746本が製造されました。閏年表示のないこの第一世代には、3種類のケースがありました。一番目は厚さ7.5ミリで、今日でも優れた記録です。二番目は厚さ8.3ミリで、防水性を確保していました。三番目は厚さ8.8ミリで、透明ケースバックを採用しています。多くの場合オープンワーク仕様で、美しいメカニズムを見ることができます。

1996年、2120/2800はキャリバー2120/2802に道を譲りました。でも物語はまだ始まったばかりなのかもしれません…

1987年の広告、ロイヤル オークとティファニーのダブルシグネチャーのロイヤル オーク。 1980年代までは大きなリテイラー自身で宣伝キャンペーンを行っていた。時にはウォッチをオーデマ ピゲとのダブルシグネチャーにすることもあった。オーデマ ピゲ アーカイブ。

1987年4月。ロイヤル オークパーペチュアルカレンダーの広告。 この広告では1987年以降、少なくとも50本のロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー ウォッチがドイツ市場に割り当てられると発表。オーデマ ピゲ アーカイブ。

1987年。ロイヤル オークの広告 ロイヤル オークコレクションを紹介。33ミリのレディースモデル、36ミリのメンズ バリエーション、当時唯一の39ミリであったロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー。1987年11月2日、「フォーブス」マガジンに掲載された広告。オーデマ ピゲ アーカイブ。

ロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー2120/2800。 販売実績
発売または最初の販売 モデル

素材(初回時)

モデルの派生元 総数: ST BA SA PT OR RP PR SP
総数    1'746 514 885 70 116 24 61 25 51
1984 25554 BA (1984), ST (1985), PT (1986) ベース 270 46 223   1        
1985 25624 BA (1985) 25554 1   1            
1986 25636 BA (1986), PT (1987), ST (1988), OR (1991), RP (1994), PR (prob 1994), SP (1994) ベース 313 61 156   41 6 24   25
1986 25651 BA (1986) 25636 1   1            
1987 25654 ST (1987), BA (1987), SA (1987), PT (1988) ベース 851 315 430 68 38        
1988 25659 BA (1988), PT (1995) 25636 4   3   1        
1989 25687 BA (1989); PT (1994) 25654 3   1   2        
1989 25688 PT (1989) 25636 1       1        
1989 25686 BA (1989), PT (1989), ST (1990), RP (1991), OR (1993), SP (1994), PR (1997),  25636 299 92 70 0 31 18 37 25 26
1990 25694 PT (1990) 25636 1       1        
1994 25775 SA (恐らく1994) 25636 1     1          
1994 25773 SA (恐らく1994) 25654 1     1          

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