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キャリバー2120-2121

はじめに
キャリバー2120とそのデイト付バージョン2121は、時計業界で最も有名なキャリバーの一つです。1967年にオーデマ ピゲ、ルクルト& Cie、ヴァシュロン コンスタンタンの提携から生まれたこの極薄な自動巻きメカニズムは50年以上にわたり製造され改良が続けられてきました。そして1972年に最初のロイヤル オーク ウォッチに搭載されました。この記事では、このテクニカルマスターピースの誕生の背景とその発展について詳しく考えてみたいと思います。

マニュファクチュールとなる前、オーデマ ピゲはエタブリサージュでした。近隣のサプライヤーが製造する部品を組み立ててウォッチを完成品とするこの地域経済ネットワークにより、スイス時計産業は19世紀から見事な発展をとげました。20世紀後半にキャリバー2120のプロジェクトが始まった時、オーデマ ピゲはまだこの地域の経済ネットワークの中でアクティブに活動していました。プロジェクトを推進するため、オーデマ ピゲはムーブメントブランクのサプライヤーであったルクルト&Cieと、古くからの顧客の一社であるヴァシュロン コンスタンタン、そしてパテック フィリップも一部参加して、共同の枠組みを作りました。 戦後オーデマ ピゲは極薄ムーブメントに力を入れ、有名なキャリバー2003を活用していました。自動巻きではありませんでしたが、将来のキャリバー2120のベースとなるものでした。このプロジェクトは、キャリバー2003の父とされる時計師/エンジニアのモーリス・オーデマが推進していました。 キャリバー2120の最初のロットは1967年に出荷されました。美しく装飾され、2.45ミリの薄さながら優れた技術特性を持っています。セントラルローターを使用した世界で最も薄い自動巻きムーブメントでした。高い慣性と双方向巻き上げのローターは、マイクロローターよりも効率的でした。1970年にデイトを加えたキャリバー2121、パーペチュアルカレンダーをアンダーダイヤルワークで加えた2120/2800などの技術的な進化だけでなく、デザイン的な進化も進みました。オープンワークはその後10年間で12,000個に適用され、その中には有名なロイヤル オーク、ノーチラス、オーヴァーシーズがあります。このムーブメントの製造は、ジャガー ルクルトがリシュモングループの傘下に入った2002年から、オーデマ ピゲが社内製造に切り替えました。

まとめ

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1960年代の時計製造エコシステム

オーデマ ピゲ:エタブリサージュそれともマニュファクチュール?これから見て行くように、これは単なる言葉の問題ではありません。オーデマ ピゲではマニュファクチュールという言葉は19世紀から広告に使われています。優れたクラフツマンシップの代名詞であるマニュファクチュールとは「ハンドメイド」を意味します。「手」を意味するラテン語の manumと「作られた」を意味するfactum から来ています。ただし1990年代以降時計産業が発展し、この言葉の意味は、社内で全てを製造し完成品に仕上げる体制のブランドを指すようになりました。その結果、「マニュファクチュール製」という表現は完全性と価値を保証するものであり、究極の目標、聖盃という概念をも示しています。この概念はクォーツ危機の後、スイス時計産業が再興に向かった時に生まれました(1975~1985年頃)。この間、主要な時計製造グループ(スウォッチグループ、リシュモン、LVMHなど)は多くのサプライヤーを傘下に入れ、そのノウハウと製造能力を独占する場合もありました。

オーデマ ピゲはこの時期に再構築を遂げ、社内一貫製造体制のマニュファクチュールとしてのステイタスを確保しました。家族経営企業として独立を保って行くには、この社内一貫製造体制を整えることが唯一の方法でした。1999年には初の社内開発製造ムーブメント、キャリバー3090を発表、2003年にはこれに自動巻きキャリバー3120が続きました。このプロセスにおいてメイランにケースの工房 (Centror) 、そしてル・ブラッシュにダイヤルの工房を設立しました。

このような形になる前の時代、オーデマ ピゲは一世紀以上にわたりエタブリサージュシステムの大きな部分を占めていたことを忘れてはなりません。この製造システムではエタブリサージュ がウォッチメカニズムを組み立てて完成させていました。部品は多くの専門アトリエが製造しており、これは家内工業的なダイヤルメーカーから大規模なムーブメントブランク工場までさまざまな規模のレベルがありました。このネットワークは互いに補完しあい、アイデアを出しあいながら効率よく機能し、19世紀以降スイスウォッチ産業の発展を支えてきました。このようなエコシステムの中からキャリバー2120が生まれました。

1882: オーデマ ピゲの広告。 1882年2月、当時唯一のスイス時計誌に掲載されたオーデマ ピゲの最も古い広告。Journal suisse d'horlogerie、1882年。ラ・ショー・ド・フォン、国際時計博物館コレクション。

1904年:オーデマ ピゲの広告。 1904年から1918年の間、いくつかのバージョンに展開され掲載されたこの広告はリテイラー向けのもの。ブランドの得意分野:コンプリケーションとエクストラ シンウォッチを紹介している。Journal suisse d'horlogerie、1904年11月。ラ・ショー・ド・フォン、国際時計博物館コレクション。

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友情の物語:オーデマ ピゲ、ルクルト& Cie、ヴァシュロン コンスタンタン

19世紀以降、オーデマ ピゲはエタブリサージュであり続けてきました。ル・ブラッシュの小さなアトリエで、数人の時計師が部品の調整、仕上げ、組立、組み付けを行っていました。これらの部品は例えばルイ=エリゼ・ピゲ、ルイ・オーデマ、ヴィクトラン・ピゲ、アルフレッド・オベールなどジュウ渓谷のクラフツマンたちが作っていました。

クラフツマンたちの間では、時計の部品作りだけではなく、ジムやスキージャンプクラブなどを通じて友好を深めていました。深い渓谷の環境では人々が皆知り合いで友情を深める中、家族の付き合いもあり仕事の関係もしっかりと築かれて行きます。例えばオーデマ ピゲに1945年に入り、その後1967年から1987年まで経営に就いたジョルジュ・ゴレイは、旧専務であったロジェ・ルクルト(1906-1971年)とカードゲームのパートナーであり親しい友人でもありました。

この友情はオーデマ ピゲとルクルト& Cie(1979年にジャガー ルクルトと改名)との間に19世紀以降育まれてきた強い絆の中の一つでしかありません。このような関係については1882年頃からアーカイブに現れてきますが、第二次世界大戦後、特に1948年以降にこれらの会社が手を携えながら発展してきました。

キャリバー2120の誕生と開発については第三者として、あるプレイヤーが重要な役割を果たしました。1960年代、ジュネーブのヴァシュロン コンスタンタンはすでに2世紀以上の歴史を育んでいました。そしてルクルト& Cieと同様、SAPIC(商工業参加株式会社)金融グループに属していました。

このムーブメントブランクメーカーとの緊密な関係に加え、ヴァシュロン コンスタンタンは1880年代からオーデマ ピゲの常連顧客でした。1950年代にはその関係はとても強く、オーデマ ピゲ ウォッチはジュネーブのヴァシュロン コンスタンタンのブティックで販売されていました!最初のホワイトゴールドのロイヤル オーク ユニークピースをリクエストに応じ1972年にイラン国王に販売したのは、ヴァシュロン コンスタンタンの営業マネジャーであるフランシス・ベルジェです。

1920年代:スキージャンプ、ル・ブラッシュ。 オーデマ ピゲ創業者たちの息子の一人、ポール=エドワール・ピゲ(1890–1979)のジャンプ。のちにミュージアムとなるオーデマ ピゲの最も古い建物が遠景に見える。写真 ジャック・ピゲ コレクションより。

1959年:ル・ブラッシュの国際スキー競技会のプロモーターたち。 左:ジョルジュ・ゴレイ、後のオーデマ ピゲ マネージングディレクター、ル・ブラッシュ ノルディックスキー競技会の創設者。右:LeCoultre & Cieマニュファクチュールのディレクター、ロジェ・ルクルト、スキー競技会の「ホスピタリティーマネジャー」、中央:ビアンキ、スキークラブ会長。 書籍「ジュウ渓谷、ル・ブラッシュの国際スキー競技会」 からの写真。2017年ジャック・ピゲ発行、101ページ。

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ウルトラ シンのトレンド

ここで薄さ2.45ミリというキャリバー2120について見てみましょう。メカニズムを薄くするにはかなりの技術力が必要です。オーデマ ピゲではこの極薄というトレンドは、ミニチュア化の競合が激しかった1900年から1910年の間に現れました。例えば1921年、オーデマ ピゲの1.32ミリのキャリバー17SVF#5(Ch.ピゲ ムーブメントブランク)が1907年に、隣のルクルト& Cieが立てた記録を破りました。髪の毛ほどのわずかな差で0.06ミリ薄かったのです。

第二次世界大戦後、オーデマ ピゲはウルトラ シンウォッチを専門にしました。それまでは二次的メリットであったものがコア的存在になったのです。1958年、オーデマ ピゲ ウォッチの75%がキャリバー2003を搭載していました。ルクルト& Cieが開発設計したわずか1.64ミリのメカニズムです。

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自動巻きと薄型:不可能な方程式

戦後の時計製造のもう一つの目標は、自動巻きムーブメントの普及でした。このシステムは回転錐(ローター)を使い、腕を動かすことにより回転しこれがエネルギーを生み出してメカニズムを駆動します。戦後の経済ブームにより新しい価値とライフスタイルが広がりました:スピード、効率、近代性、旅行、マルチな活動、若々しさなどです。自動巻きウォッチの登場にぴったりと合う時代の雰囲気がありました。アクティブな現代の男性が時計のネジを巻く暇があるでしょうか?特に最初の自動巻きムーブメントが厚めだったこともあり、保守的な人々を説得するには少し時間が必要だとしても、時計師たちはこの革新技術の未来を強く信じていました。

1954年、オーデマ ピゲは初の自動巻きウォッチ、モデル5112を導入しました。キャリバー2498と2499 (ルクルトのムーブメントブランク498-499、厚さ6.65ミリ)は、クル・ド・パリのギヨシェ模様の装飾を施したゴールドのローターが巻き上げます。程なく2070、2071、2072がこの後に続きました。

ここまでの自動巻きムーブメントは特に薄いというものではありませんでした。この二つのメリットを同じウォッチの中に備えるということには強い意味があり、これは1958年のある手紙の中でも確認されています。つまりルクルトはキャリバー2498にデイトを加えることを提案しました。オーデマ ピゲはムーブメントが厚くなる、そして「顧客はスリムなウォッチを求めにくる」としてこれを断りました。メッセージはこう続きます:「競合が厳しくなっているので、ウォッチの厚みには気をつけなければならない」。実際1960年の時点ですでにピアジェはわずか2.3ミリのキャリバー12Pを導入していました。ローターをメカニズムの厚みの中に組み込んだマイクロローターを使っています。オーデマ ピゲはセントラルローターを選びました。これはよりパワフルですがより難しいオプションです。

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間違ったスタート

当時、創設者の孫のジャック=ルイ・オーデマが新しいウォッチメカニズムを開発しようとしていました。技術部長そして後の取締役会会長となる彼は、自身が時計師でもありました。

オーデマ ピゲの記録によると、1960年にフレデリック・ピゲがウルトラ シン自動巻きムーブメントの計画を持っていましたが実現しなかったとあります。ルクルト、ヴァシュロン コンスタンタンまたはオーデマ ピゲのうち誰が最初にキャリバー2120のアイデアを出したのかは記されていませんが、ル・ブラッシュのマニュファクチュールが主導していたとされます。1964年6月9日、ジャック=ルイ・オーデマはルクルトにこうこぼしました:「この3~4年間、お客様を待たせてきました。ウルトラ シンを専門とするラグジュアリーブランドでありながら、なぜ市場で一番厚ぼったい自動巻きウォッチを続けているのか、理解できないとの声を受けています」。

別の書簡で、ルクルトの技術部長ジャン・ルベがこの計画のことを再度取り上げています。1962年にマンジョという時計師が「803ムーブメントブランクをベースに厚さ2.3 ミリのムーブメント(キャリバー2003)を製造することができる特許保持の自動巻き装置」を発表したと説明しています。しかし、このメカニズムは熟練の時計師しか調整することができない微妙なものであった上、実際にはそれができるのはマンジョしかいなかったため、この計画は中止となりました。ルクルトはそのため計画を、熟練のムーブメント設計エンジニアであったフェルナン・レイモンに委ねましたが、彼は急死してしまいます。

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ジャック=ルイ・オーデマとモーリス・オーデマ

オーデマ ピゲのアーカイブには、キャリバー2120の開発に関するルクルト& Cieとのやりとりが残っています。書簡、社内メモ、スケッチ、プロトタイプの試験結果などがかなりの進捗状況を示しています。ジャック=ルイ・オーデマはル・ブラッシュから4キロ離れたル・サンティエ村を定期的に訪ねていました。そこで彼はムーブメント設計エンジニアのモーリス・オーデマに会い、巻き上げ、スプリング、パワーリザーブ、厚さ、テンプ、バレルなどについて話し合っていました。

モーリス・オーデマ(1923–1974年頃)は時計師兼エンジニアで、ジュウ渓谷技術学校で学び、時計製造を支えた重要な存在の一人でした。彼についての資料は少ないのですが、時計製造について重要な役割を担ったことは確かでした。いくつかの自動巻きシステムを発明しています(特に1948年の特許CH256020Aと1959年の特許CH343294)。1965年10月18日に登録されたキャリバー2120の自動巻きの特許CH14388/65にも彼の名前が記されています。APカスタマーサービスの創始者ウィルフレッド・ベルネイを始め、いくつかの資料も彼が有名なキャリバー2003(ルクルト803ムーブメントブランク)の発明者であることを裏づけています。1953年、30才の時にこれを発明したとされています。この厚さ1.64ミリのメカニズムは、20世紀後半の時計製造に大きな影響を与えました。

ですからキャリバー2003がキャリバー2120のベースとなったと考えることは自然で、いくつか共通の部品が使われています。リファレンス920(キャリバー2120のルクルトでの名前)を示す1961年の図面では、計画はすでに準備されており1963年の春に本格的に開始したとなっています。ムーブメントの特徴である厚さ、振動数、パワーリザーブなどが規定されていました。1964年6月から1965年4月まで、ジャック=ルイ・オーデマは腕にあるプロトタイプを着けていました。1966年までに殆どの図面は終了し、最初のモデルは1967年に出荷されました。最初のクォーツムーブメントが市場に出されたのと同じ年です。

1953~2000年代:エクストラ シン キャリバー2003。 当時最薄の手巻きムーブメント(1.64ミリ)。半世紀以上の間、キャリバー2003は多くの技術的進化を遂げた。径20.8ミリ(9リーニュ)。18石。18,000振動/時。1957年製造のムーブメント68139。オーデマ ピゲ アーカイブ。

1950年代:ジャック=ルイ・オーデマ。 オーデマ ピゲの創立者たちの孫の一人、ジャック=ルイ・オーデマ(1910–2002年)は1933年に時計師として入社し、1959年から1976年まで技術部長を務めた。その間1966年から1992年まで取締役会の会長を務めた。1992年に彼の娘がその後を引き継いだ。オーデマ ピゲ アーカイブ。

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スリムで丈夫なマスターピース

キャリバー2120は優れた特徴を持っていました。1967年、総厚わずか2.45ミリ、セントラルローターをもつ世界で最も薄い自動巻きキャリバーという記録を打ち立て、これを数十年間保持しました。

特許CH14338/65にその革新的特徴が説明されています。巻き上げシステムはマイクロローターよりもローターの径がより大きく(28ミリ)、重いため、より優れている。「自動巻きウォッチの回転錐またはローターはできるだけ重く、できるだけ大きな回転径でなければならない。しかしウルトラ シンメカニズムではこれらのメリット(径と厚さ)が、特に衝撃を受ける際にシステムの弱点となる。キャリバー2120ではシンプルな解決をはかっている:ローターは周辺にルビーのベアリングを配してレールの上を走る車輪のようにし、「ローターのある中央軸への緊張を減らし、中央の軸揺れを最小に減らす努力をしている」回転レールはこのキャリバーの最も目立つ要素です。

薄さに特化するため、ムーブメントは秒針をつけていません。振動数は19,800/時です。同じくジュウ渓谷にあるキフ・パールショック社の耐衝撃システムを備えています。巻き上げは双方向、つまりローターがどちらの方向に回っても巻き上げが行われます。

最高レベルの装飾が施され、その内容が表41131に記されています:サーキュラーグレイン、サテンブラッシュ、ポリッシュへこみ角、面取り、研磨、コート・ド・ジュネーブ、ギルド、スネイル、フェルト研磨など。21Kゴールドの回転錐には"Audemars-Piguet"のエングレービングが見られます(2つの名前の間のハイフンはこのキャリバーにおける独特の表記)。

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1967年に発売

1967年3月22日、計画がスタートして4年後に、オーデマ ピゲはジェラルド・ジェンタがデザインしたモデル5271ウォッチの最初の10本を出荷しました。それに続いて丸型モデルの5272、5273、5274とその創造的なバリエーション(5279、5285、5287、5302、5307、 5384)が製造されました。

1967年には650本以上のオーデマ ピゲ ウォッチがすでにキャリバー2120を搭載していました。10年間で12,000本以上が販売されています。数年以内にこのムーブメントは2070-71-72バージョンにとって代わり、マニュファクチュールの主要キャリバーの一つとなりました。1970年には2121のデイト付バージョンのベースとなりました。キャリバー2121はやや厚く(3.05ミリ)、1972年の最初のロイヤル オークに搭載されました。2800パーペチュアルカレンダーのベースとしてアンダーダイヤルを1978年から使用し、コンプリケーションウォッチの歴史に活気を与えました。

 

1967年: モデル5271 センターローター使用の最薄自動巻きキャリバー2120を搭載した最初のロイヤル オーク。オーデマ ピゲ アーカイブ。

1967~1968年頃:キャリバー2120を搭載したモデル 開発に6か月をかけたキャリバー2120は1967年以降多くのモデルに搭載された。左から右、上から下へ:モデル5274, 5279, 5284, 5287, 5307, 5384。オーデマ ピゲ アーカイブ。

1964年:エクストラ シンウォッチのスケッチ キャリバー2120の開発と並行し、これを搭載することを想定して作成されたウォッチのスケッチ。(キャリバーはここではルクルト920のリファレンス)オーデマ ピゲ アーカイブ。

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集団プロジェクト

時計業界にはさまざまな噂が絶えません。その中でも長く続いている噂の一つにルクルトのキャリバー920(デイト付は921)は、ジャガー ルクルトが3つのブランド向けに製造していたというもの。オーデマ ピゲ(Refs.2120と2121)、ヴァシュロン コンスタンタン (Refs.1120と1121)、そしてパテック フィリップ(Refs.28.255と28.255c、径28ミリで厚さ2.55ミリ、デイトなし、2120バージョンより0.1ミリ厚い)。しかし今日までこの4社の間でそのような契約を示す資料はありません。オーデマ ピゲのアーカイブにコピーが保存されていないということは、口頭による約束だったのかもしれません。

一方、オーデマ ピゲが1972年の最初のロイヤル オークにこのキャリバーを搭載したこと、パテック フィリップが1976年の最初のノーチラスにこれを搭載したこと、ヴァシュロン コンスタンタンが1977年に222本のオーヴァーシーズに搭載したことはよく知られています。専門家もジャガー ルクルトは、このムーブメントもキャリバー2003も自らのウォッチには使っていないと指摘しています。

オーデマ ピゲのアーカイブによるとヴァシュロン コンスタンタンは1963年から1966年の間、このメカニズムの開発に関わったとされています。一方、パテック フィリップはこの輪には加わっていなかったようです。ジュネーブのパテック フィリップはこの開発には役割を担っていなかったように見えますが、情報ソースをよく調べて見るとそこにはややニュアンスがあるようです。パテック フィリップのリファレンス"25.855" はルクルトの図面の中に1965年2月28日にすでに現れており、その後も定期的に出てきます。これらのことから、このムーブメントの開発は当時の時計製造トリオがサポートし、使用も彼らの間に限ることにしていたという仮説が成り立ちます。オーデマ ピゲ、またはこれを代表するジャック=ルイ・オーデマが、ルクルト& Cieとの間でこの技術提携において最も重要な役割を担ったことは明白です。

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調整機構の開発

キャリバー2120とその派生キャリバー2121は、1967年以降進化を続けています。最初の数年間は多くの調整が必要でした。例えばテンプについていえば、1971年までに6回も設計変更されています!このように設計変更が何度も行われたのは、完璧な信頼性を確保できる薄い調整機構を開発することがいかに難しいかを示しています。

調整機構の中心にはテンプがあります。この部品は中心軸のまわりで往復を繰り返し、これがウォッチのチクタクとなります。その均一で安定した動きは精度を確保するために欠かせません。1967年、キャリバー2120は周辺に小さな慣性ブロックを配した(オフセンターウェイト)「変動慣性」テンプを備えていました。調整者はこのウェイトを手で回しテンプのスピードを変更し、ウォッチの進みや遅れを補正していました。フィギュアスケーターがスピンで回転を上げる時、腕を体にぴったりとつけるようなものです。経験ある時計師は目視でブルーのテンプスプリングを見定めます。

1978年から1980年の間、調整機構はよりシンプルなものへと変化しました。その頃から3本の腕を持った円状のテンプの調整をインデックス(レギュレーター)で行うようになりました。テンプのスプリングの緊張度を変え振動速度を変更させるものです。同時にオーデマ ピゲはテンプブリッジのデザインを簡素化しました。メカニズムはキャリバー2120/1と名称変更されました。この変更は製造ラインに浸透しましたが、時計師たちにとっては頻繁な調整が必要となったため、仕事の能率が落ちてしまいました。そこでオーデマ ピゲは1991年に変動慣性テンプを再導入したのです。メカニズムはキャリバー2120/3と名称変更されました。

そしてさらなる改善が行われます。時計師たちの仕事については、例えば2012年にはリフトの角度は3度まで減り、パレットレバーブリッジのピンは形状変更されました。翌年には摩擦による消耗を減らすようバレルの軸にジュエルが使われるようになりました。

1967~2021年:キャリバー2120と2121の調整機構。 テンプとバランスコックのデザインと技術性の進化の様子。 上:1967年から 中:1980年頃から 下:1991年頃から。

1975年:キャリバー2120と2121の三本腕テンプの図面24361B。 1975年1月のスケッチ。このテンプは1978年にキャリバー2120と2121に使われた。1990年代の初め、変動慣性テンプがこれに代わった。1996年更新の図面。オーデマ ピゲ アーカイブ。

1975年:キャリバー2120と2121に使われたバランスコックの図面24367。 簡素化された設計のこのバランスコック(またはテンプブリッジ)は1978年に採用され10年ほど続いた。1967年にキャリバー2120に使われたこのバージョンがそれに代わった。オーデマ ピゲ アーカイブ。

1967年~1978年頃:キャリバー2120、第一世代。 自動巻きウルトラ シン キャリバー。径22ミリ(12½リーニュ)。変動慣性テンプ。1970年製造のムーブメント112572。オーデマ ピゲ ヘリテージ。

1978頃~1991年頃:キャリバー2120/1(第二)世代。 自動巻きウルトラ シン キャリバー。径28ミリ(12½リーニュ)。インデックス調整機構、三本腕の年テンプ。1980年製造のムーブメント212825。オーデマ ピゲ アーカイブ。

1991年頃~2012年頃:キャリバー2120、第三世代。 自動巻きウルトラ シン キャリバー。径28ミリ(12½リーニュ)。インデックス調整機構、三本腕の年テンプ。オーデマ ピゲ ヘリテージ。

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オープンワークのアート職人技をよみがえらせる

キャリバー2120とその派生キャリバーは当初数年間、ウォッチケースの中でしっかりと護られ、目につかないところに配置されていました。時計師が点検や修理の時に見ることができるのみでした。クォーツが登場してからはそれが変わり、ウォッチの機械部分も新たに目に触れるものとなりました。伝統的な装飾や仕上げに注目し、ウォッチの鼓動する心臓部を人の目に触れるものとして扱うようになったのです。そこでオーデマ ピゲは、1930年代と1950年代に披露していたもののその後アトリエから消えていた芸術的な技を再導入することにしました。オープンワーク、またはスケルトンと呼ばれる技術です。

このアートは、部品を手作業で装飾する前に、小さなやすりを使いムーブメントブリッジから素材をそぎ落とすことにより、機能に影響を与えずにメカニズムの神秘的な姿を浮かび上がらせるものです。オープンワークは時間がかかり、手先の器用さを必要とします。1930年代の不況の時期、注文が減る中で時計製造の手をとめないようにと始められたものです。しかし1972年では状況はまた違います。クォーツの登場に対抗し、機械式ムーブメントの美しさにスポットをあてることが大きな目的でした。オーデマ ピゲはオープンワーク専門のアトリエを開き、熟練職人たちが若い世代にこの技術を継承できるようにしました。86名の従業員のうち、9名がマニュファクチュールで20年以上勤めていたベテランでした。うち2名は既に1930年に始めており、その中には創立者の息子であるポール=エドワード・ピゲもいました。

1936年:オープンワーク ポケットウォッチ。 ウルトラ シン オープンワーク、エングレービング入りキャリバー16½SVF#3。ブルーラッカーダイヤル。ムーブメントとケース38628。クリスタルとプラチナ。プレモデル623。1936年5月にダンヒルに販売。プライベートコレクション。

1937年:オープンワーク ウォッチ。 オープンワークキャリバー10TS。ゴールド オープンワーク ダイヤル。ムーブメントとケース42699、18Kゴールド。プレモデル556-557。1937年1月にブシェラーに販売。オーデマ ピゲ ヘリテージ、 inv.1285。

1963年:オープンワーク ウォッチ5036。 オープンワークでエングレービングのあるキャリバー10TS、ムーブメント63476 (1953年のブランク)ベゼルにアワーマーカー。ケースno.21954、18Kホワイトゴールド。1963年2月にUnion Relojeriaに販売。オーデマ ピゲ ヘリテージ、 inv.1729。

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最初のオープンワークモデル

1972年から73年の冬の間、数人の若い時計師がオープンワークに興味をもち、先輩に助けられてこの習得を始めました。ちょうど100個ほどのキャリバー2120と同時にスタートしたこともあり、ジョルジュ・ゴレイのビジョンは豪快でした。最初のウォッチが1973年11月31日に出荷されます。洗練されたクラフツマンシップの成果であるモデル5442が、メカニズムの輝く複雑な舞台を提供しました。ケースバックを通してオープンワークのローターがAPモノグラムロゴを輝かせ、そのパターンはキャリバー2120、2121、2120/2800を数十年にわたりインスパイアしました。12月にはさらに5本が出荷され、それから1976年まで毎年平均30本ほどのウォッチが製造されました。

1970年代には技術を習得したクラフツマンが150時間をかけてキャリバー2120のオープンワークを仕上げていました。アトリエはそのため拡大する必要が生じました。最初の100本のウォッチを完成させるのに3年がかかりました。次の100本にとりかかる時、オーデマ ピゲは同時にキャリバー2003もオープンワークとすることを決めました。こちらは2120よりさらに小さいキャリバーです。1978年、キャリバー2120を搭載した300本のオープンワークウォッチが製造されました。1984年、専門アトリエのオープンワーク専門スタッフは既に12人ほどになっていました。

オープンワークがロイヤル オークコレクションに登場したのは1986年、パーペチュアルカレンダー搭載のモデル25636の時でした。ペンダントポケットウォッチのバージョン、モデル25729が1980年代に続きます。1992年にはモデル14815、14816、14929がオープンワークのキャリバー2003を搭載していました。この頃からデザインの進化が進み、オープンワークはロイヤル オークコレクションの中に一体化し、1992年から2022年の間には40以上のモデルが生まれ、うち4モデル(モデル14814、15052、15053、15136)はキャリバー2120を搭載していました。

1976年:ウルトラ シン オープンワーク ウォッチ5442BA (1972) 。 キャリバー2120SQ、ムーブメント136093はキャリバー2120の最初の100個のオープンワーク ムーブメント ブランクのロットの一部。ケースB4502。18Kイエローゴールド。1976年、ドイツで販売。オーデマ ピゲ ヘリテージ、 inv.1123。

1976年:ウルトラ シン オープンワーク ウォッチ5442BA (1972)のケースバック側 。 キャリバー2120SQ、ムーブメント136093はキャリバー2120の最初の100個のオープンワーク ムーブメント ブランクのロットの一部。ケースB4502。18Kイエローゴールド。1976年、ドイツで販売。オーデマ ピゲ ヘリテージ、 inv.1123。

1980年:八角形のオープンワークウォッチ4122BA。 キャリバー2120SQ、ムーブメント174862。ケース B38196、18Kイエローゴールド。1980年9月にダーカル(スイス市場)に販売。オーデマ ピゲ ヘリテージ、 inv.1788。

1993年:ハイジュエリー ウォッチ14771BA。 時計師、オープンワークエキスパート、エングレーバー、ジュエラー、ジェムセッター、チェーンメーカーの伝統的な技術を集めている。キャリバー2003SQ、ゴールド製、ムーブメント275389(1988年のブランク)。ジェムセットの針。ケース C71668、18Kイエローゴールド。56個のバゲットカットダイヤモンド(約1.64カラット)。1993年、香港で販売。オーデマ ピゲ ヘリテージ、 inv.1210。

1997年:ロイヤル オーク オープンワーク14814BA。 デイト。キャリバー2120SQ、ムーブメント367889、フルオープンワークとギルド。ブレスレット 944。ダイヤモンドセットの針。ケース D93405、39ミリ、18Kイエローゴールド。オーデマ ピゲ ヘリテージ、 inv.1216。

2012年:ロイヤル オーク15203PT 3/4。 プロトタイプP795、2012年ジュネーブのSIHH(国際高級時計サロン)で発表。デイト。キャリバー5122。オープンワーク、ブラック加工のムーブメント822289。プラチナケースP00795、39ミリ。40本限定モデル。アニバーサリーローター。オーデマ ピゲ ヘリテージ、 inv.1336。

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サファイアケースバックと装飾ローター

オープンワークはメカニズムの美しさを最大限にアピールするものですが、非常に時間がかかるため小さなシリーズしかできません。一つのムーブメントに1ヶ月近くかかるためです。もう一つの魅力としてサファイアケースバックもムーブメントの反対側、時計師たちが「ブリッジ側」(「ダイヤル側」に対して)と呼ぶ側を見せてくれます。しかしサファイアケースバックはムーブメントへのオープンワークを必要としません。初期の頃はハンドエングレービングしたブリッジや特別なローターなどを見ることができました。

1990年代前はオープンワークなしでサファイアケースバックを使ったウォッチはほんのわずかでした。ヘリテージ コレクションには一本だけ、モデル5283があるのみです。本格的な物語は1992年、ロイヤル オークが20周年を祝った時に始まります。1987年にジョルジュ・ゴレイが亡くなってから共に経営に就いていたステフェン・ウルカートとジョルジュ=アンリ・メイランはこの機会に、伝説のロイヤル オーク"ジャンボ" をキャリバー2121と共によみがえらせることを決めました。モデル14802はサファイアクリスタルの先にローターを配していました。ローターはアニバーサリーのために特別にデザインされたもので、スモールロイヤル オークナンバー (ナンバリングに関する記事を参照)がエングレービングされています。1996年の1000本の限定モデルがとても評判がよかったので、ロイヤル オーク"ジャンボ"はモデル15002としてコレクションに入りました。これはソリッドケースバックモデルです。

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21世紀の進捗

2000年に世界は新たな世紀に入り、オーデマ ピゲは創立125周年を祝いました。同時にこの新しいロイヤル オーク"ジャンボ"15202はホワイトのグランドタペストリー ダイヤル、そしてサファイアケースバックを使っています。アラベスクのモチーフ入りのローターは、1973年に導入された最初のオープンワークキャリバー2120にインスパイアされています。時計愛好家の皆様もご存じのように、1986年に既にロイヤル オークパーペチュアルカレンダーウォッチにキャリバー2120/2800が搭載され、この装飾を施したローターが特にモデル25636と25686に使われています。

これはロイヤル オークの40周年記念と同時に、最上のタイミングで登場しました。2012年、コンテンポラリーアートとロイヤル オークの歴史を祝うエキシビションがニューヨークとミラノで開催された後、ジュネーブでブランドの開発に関わる1000名の従業員を集めて披露されました。15202のローターのデザインは新しくなり、アングルやファセットをなくしてアラベスク模様で飾っています。アクセントはクル・ド・パリの2列のパターン。ローターはウォッチのデザインと合わせると共に、そのデザイン感性はキャリバー5134全体に生かされています。このキャリバーは2015年にキャリバー2120/2800にとって代わり、2014年にオープンワークのキャリバー5122にとって代わりました。

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キャリバー2121の製造がル・ブラッシュに移転

キャリバー2120と派生キャリバー2121の歴史は、1990年代末にほぼ終わりに近づきます。その10年の間、このテクニカルマスターピースは希少なロイヤル オーク"ジャンボ"ウォッチのみに搭載されたと言えます。オーデマ ピゲはその製造を続け、特にモデル14802 (1992年)と15002 (1996年) 、そして2120/2801-2パーペチュアルカレンダーバージョンが特記されます。しかしロイヤル オーク オフショアとコンプリケーションの人気が次第に高まるにつれ、販売は減少しました。その結果、未使用のブランクは1999年には400個にもなり、ジャガー ルクルトからの注文は年々減少を続けました。

オーデマ ピゲのカスタマーサービス部門を1976年に創設したウィルフレッド・ベルネイは2007年に引退する前に、キャリバー2120/2800についての回顧録を著しています。このドキュメントで次のように述べています:「1999年、ジャガー ルクルトはこのムーブメントのブランクの製造停止の決定をAPに伝えた」。この決定はスイス時計産業全体の再構築という文脈の中にあり、ジャガー ルクルトがリシュモングループの傘下に入ることになったことに関係しています。

オーデマ ピゲでは社内一貫製造体制を作ることは既に中心的課題となっていました。その結果として1999年にキャリバー3090が誕生しますが、この時までには創立者の四代目が取締役会に就いていました。ジャスミン・オーデマとオリヴィエ・オーデマはこの体制変換を加速させようとしていました。ウィルフレッド・ベルネイは「大きな困難にもめげず」、計画は2002年に完成したと述べています。オーデマ ピゲの技術部門が2000年から既にキャリバー2120と2121の図面を数多く作成していることからも見てとれます。

2004年から2006年までオーデマ ピゲの技術部長を務めたブルーノ・ムタルリエは、2020年10月のインタビューで、ジャガー ルクルトはキャリバー2003も同時に製造停止にしたと語っています。「ヴァシュロン コンスタンタンとの間でそういう話になっていた」と。この2社は両者でキャリバーを分かちあって製造し、ジュネーブのメーカーの方が1953年のウルトラ シン手巻きムーブメントを製造、オーデマ ピゲがキャリバー2120とその派生キャリバーを製造、さらに部品をパテック フィリップのカスタマーサービスに供給していたということになります。このようにして当初のエタブリサールは最終的にマニュファクチュールとなりました。

2022年、キャリバー2120と派生キャリバー2121は55年の豊かな生涯を終えて後進に道を譲りました。最新の技術的進歩を駆使しオーデマ ピゲのエンジニアと時計師たちが開発したキャリバー7121が、ウルトラシン自動巻きメカニズムの歴史の新たなページを綴ります。

 

編集チーム:オーデマ ピゲ ヘリテージ チーム

初版:2022年1月24日

 

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