
モデル5402のダイヤルバリエーション
まとめ
幾何学模様から光の反射を導き出す
モデル5402のダイヤルは円形と角形と言う二つの補完的な幾何学モチーフを組み合わせています。曲線と直線、きっかりしたものと流動的なもの、より象徴的に言えば厳格さと柔軟性。円形のダイヤルのハイライトは12のアプライド アワーマーカー。その間を埋める分目盛。そして何よりも緻密に彫り込まれた一万個ほどの小さなダイヤモンド形が円周状に整然と並びます。
もう一方で、四角の形状をした何百もの小さく平たいピラミッドが、縦横同じ数の桝目のように整然と縦横に並びます。縦方向の整然とした並びは、12時位置のダブルアワーマーカーと6時位置のAPモノグラムにより際立ち、横方向の並びは、AUDEMARS PIGUETシグネチャー、AUTOMATICの記載、3時位置のデイト窓により強調されています。デイト窓は非対称のエフェクトを与えていますが、非対称な要素を少し加えることにより全体のハーモニーが心地よいものとなってます。
このような幾何学的モチーフの微妙な組み合わせは、ロイヤル オークのファセットで包んだケースがいくつかの形状をうまく組み合わせていることとも共通しています。ベゼルは八角形のアングルを丸めた形で、モノコックケースはトノー (樽)形です。このようにケースと同様またはそれ以上に、ロイヤル オークのダイヤルは光の反射を最大限にとりこむよう工夫されています。いくつかの異なった形の模様を重ねることにより、変化のあるムワレ効果を得ることができます。
スターン社の技術仕様書
ロイヤル オークの誕生にまつわる記事の中では、有名な5402のダイヤルについて詳しく語られています。ここで思い出すのは、ジュネーブの高級ダイヤルメーカー、スターン社がいくつかの古いギヨシェマシンを保存していたこと、そしてジェラルド・ジェンタに、将来のロイヤル オークの顔となるダイヤルにこれを使うことを提案したことです。そのパターンはどのようにして選んだか、クラフツマンたちがなぜ色についてガルバニ加工を選んだのかについても語られます。
スターン社は2016年に会社を閉める時、そのアーカイブ資料をそれぞれの顧客に配りました。これにより時計製造の知識と熟練技術の長期的な継承が可能となった訳で、このイニシアチブは評価されるべきものです。オーデマ ピゲは製造図面、書面ファイル、発注書、連絡書簡、リファレンスダイヤルなど30メートルに及ぶ資料を継承しました。
その中に最初のロイヤル オークのダイヤルの写真があります。「ベンチマーク ダイヤル」(模範サンプル)がボードに貼り付けられ、その横に技術データが示されています。残念ながらその内容はほとんど理解することができません。この記事ではその中でも理解が可能なものをベースとし、特に"タペストリー T21"、"ナイトブルー 1 + N50" カラー、"サテン仕上げ"、 "ウルトラシン12/100” AP モノグラム、そしてオープンワーク"trit" (トリチウム)アワーマーカーにつき取り上げます。

タペストリーT21、通称プチタペストリー
スターン社のアーカイブによると、 ギヨシェ パターンは'T21'とラベリングされています。(タペストリー No. 21の略)タペストリー という名についてはまだもう少し話があります。時計業界、特にウォッチコレクターの世界では、ロイヤル オークのダイヤルモチーフをタペストリーと呼んでいます。このような言い方もモデルがそれだけ有名だからでしょう。オートオルロジュリー財団(FHH)のウェブサイトにあるように、タペストリーは「織物に似た繰り返すモチーフの模様で、特別に調整したエンジンを使いツールの動きをガイドする」ものとされています。
スターン社のアーカイブにあるタペストリーのデザインは殆どがフローラルまたはアラベスクのモチーフです。T21のパターンは18世紀に遡る「クル・ド・パリ」の ギヨシェ 模様に似たもので、底辺が四角の小さなピラミッドで出来ています。モデル 5402に使われたT21モチーフは1976年からロイヤル オークコレクションで特に モデル8638、 4100などに広く使われるようになりました。21世紀始めには名前がプチタペストリーと変わりました。これは1999年からさらに大きなモチーフのバリエーションであるグランドタペストリーが使われるようになったためです。タペストリーは数年のうちに後者に置き換わりました。2012年、ロイヤル オークの40周年記念を祝して、プチタペストリーがモデル15202でカムバック、そそいてこのタイミングにAP モノグラムは6時位置に置かれました。

ピラミッドの構成
1972年以降、モデル5402のダイヤルは、別の記事で紹介する長い歴史を持つ特別な機械で作られています。最初の10年間は、作り方や使うツールにより、ダイヤルのバッチごとにデザイン的要素に違いがありました。2011年から2021年までタペストリー ダイヤルのアトリエを率いたカナダ出身のマーク・フェルランドは、機械が完璧でもやり方にはあくまで職人芸的な部分があり、調整によりエングレービングの仕上がりは異なると説明しています:「機械は シャブロン(マトリックス)のパターンを微小なパンタグラフのように複製する仕組みです。単にモチーフを複製するだけでなく、これを解釈するという部分があります。ちょっと技術があれば、クラフツマンは四角からフラワーを生み出すことができる位です!」
1970-80年代にはピラミッドの中央合わせがダイヤルによってわずかにずれていることがありました(イラスト参照)。ピラミッドのサイズにしても時にはかなり差があり、それは高さや幅だけでなく、数までも違っていることがありました!デイト窓からダイヤルセンターまでの間のピラミッドの数を数えてみるとわかります。この同じ幅の中に、ダイヤルによってはピラミッドが9個、10個、11個と幅があり、20%の差にもなります!エングレービングのマシンに使われる大きなマトリックスはすぐに消耗するため、定期的に交換しなければなりません。これも手作業で作られるため、個々の差がありました。さらに四角の数とサイズも、機械の調整によってかなり違ってきました。
50,000個のダイヤモンド形の秘密
ピラミッドの間、特にその頂上の部分には光線を捉えてきらめくラインがあります。マーク・フェルランドによると:「 ギヨシェマシンにダイヤルを取り付けると、軸に沿ってスピンが始まります」回るごとに、ノミの鋭い先端が、メタルを通過することなしに小さな凹みを彫りこみます。キツツキが木の幹を嘴で突くような感じです。一周すると素材を339.5回彫り込んだことになり、ダイヤルセンターから1/11ミリのところに来ます。直径28ミリのダイヤルの場合、表面全部をカバーするには154周が必要で、50,000個の微小なホール(凹み)が生まれます。
マーク・フェルランドのアトリエに行ってこの「小さな穴」について聞くと、こう答えるでしょう:「いや穴ではないんです、ダイヤモンド形をしています!丸かったらダイヤルは輝かないのです」一つ一つのダイヤモンド形は4つの内辺があり、これが光を反射させるのです。もっと重要なことは、ダイヤモンド形の数は一周ごとに同じなので、ダイヤル中央に近づくにつれて穴の間隔も近づいてきます。「新しく彫ったラインを見ると、よりタイトなパターンになっていることがわかります」とマーク・フェルランドは続けます。写真をもとに熱心に説明をしてくれますが、「ロゼット」、「カム」、「理想的アングル」、「ポインタ」などの用語が交じり、素人はすぐに全てを理解できるとは限りません。
ナイトブルー、クラウド 50
スターン社のカードにはナイトブルー 1 + N50と記されています。このコードはレシピのようなものです。「ナイトブルー、no 1」のカラーはスターン社が開発したもので、製法は同社の秘密とされています。N50は「クラウド No. 50」で、保護ニス(またはザポン)にブラックカラーNo. 50を加えた時に得られる色です。「クラウド」という言葉は、カラー液滴をニス液の中に加えた時にできる模様から来ています。
ブルーはこれまでも完璧な再現が最も難しい色でした。この色あいはダイヤルをガルバニック液に漬けることにより得られます。溶液の成分、液に漬ける時間と温度のいずれも重要です。わずかでも早く出しすぎると紫になってしまい、遅すぎるとブラックになってしまいます。さらに液から出した時にはダイヤルはグレーのように見え、ブラック液滴を加えた保護ニスをつけた時になって初めてブルーの色あいが出てくるのでさらに微妙です。
ニスはカラーを安定させますが、長期の発色を保護するものではありません。光や湿気に長期間当たると、カラーは少しずつ変化し、やや色ムラが出てオリジナルの色あいに近くなることもあれば、そうではない変化をすることもあります。オリジナルのカラーを知るにはダイヤルの裏側を観察しなければなりません。しかし観察には時計師のスキルとツールが必要です。

バックにポイントあり
見えない場所に隠れており、光に触れないダイヤル裏面はふつう観察の対象にはなりませんが、コレクターと時計師にとって興味深い情報がつまっています。
まずカラーが当初のものに近いまま残っています。これについて、オーデマ ピゲ ヘリテージチームはやや紫がかった色を発見しました。1972年には今私たちが考えているのとは違うカラーのダイヤルも多かったことがわかります。
もう一つは、ダイヤル裏面にエングレービングがあることです。ヘルムート・クロットが記述したリファレンスブック「ダイヤル、20世紀の腕時計の顔」でこれについて説明されています:「6はオーデマ ピゲの顧客を示し、星はスターン・フレール社の当時の刻印である」その後の番号は発注番号であることがオーデマ ピゲ アーカイブに記されています。またヘルムート・クロットは4N(ここでは"N4"となっている)はゴールドカラーの4Nを示すと言っています。しかしこの情報は検証されていません。というのはオーデマ ピゲのラボが行った分析では、初期のロイヤル オークのダイヤルはクリソスカルと呼ばれるブロンズの一種で作られていたことがわかったからです。
もちろん、色、仕上げ、アワーマーカー、AP モノグラムによって時計師は、このダイヤルが改装されたものかどうかを一目で知ることができます。カラーをやり直すためには、ダイヤルを外し、また要素(アワーマーカーとロゴ)を付け直すことが必要で、その痕跡は必ず残るからです。
6時位置の極薄APモノグラム
オリジナルのロイヤル オークのダイヤルの特徴の一つにアプライドAP モノグラムがあります。記録によると、オーデマ ピゲにとってこれは初の試みでした。AとP の文字を並べることは広告では行われていましたが、ウォッチのダイヤル自体に使われることはありませんでした。
スターン社の技術仕様書(上記セクションの「スターン技術仕様書」を参照)には、APの高さは"12/100"ミリを超えないようにと赤で記載されています。ロイヤル オーク ウォッチは極薄でしたので、ダイヤルとクリスタルガラスの間隙は、時針と分針のための最小限のスペースである0.9を超えてはならないとされていました。このように薄いホワイトゴールドのモノグラムを、AとPの縦の線が接触するフォルムで仕上げるのはさらに困難を伴いました。二つの間に微小な隙間(0.002 mm、髪の毛の半分)をカットすることが求められたからです。
コレクターにとって興味深い点がもう一つあります。"Symb AP 945 satin finish" はAPのシンボル(モノグラム)のリファレンス番号がスターンの945で、サテン仕上げであることを意味しています。実際にはアプライドロゴのほとんどがポリッシュではなくサテン仕上げでしたが、この変更についてアーカイブには記述がありません。オーデマ ピゲ カスタマーサービス アトリエではこれについていくつかの仮定が考えられていました。そのうち一つはこのように薄い部品をサテン仕上げすることは困難であるとわかったこと。もう一つは、APの文字にコントラストを与えて読みやすくするために変更したというもの。スターン社の技術仕様書にある「APにホワイトラインを+」という記述は後者の解釈を裏付けるように思えます。例えばホワイトカラーを引くことによって二つの文字の間隙ははっきりするからです。
APモノグラム、6時から12時位置へ
コレクターたちによく知られているように、5402STの初期の世代ではAP モノグラムが6時位置にあったのですが、その後APロゴが12時位置にあるダイヤルが多く見られます。この点についてもアーカイブには記述がありませんが、時計師たちの記憶がそれを説明してくれます。復元師たちの説明によると、数年たった後に針がロゴをかすめたり、時にはクラッシュして時計が止まってしまうことがあったと言います。ここで知っておきたいのは、針とロゴとの距離はわずか5~10/100ミリであることです。中にはユーモアを込めて、針がこの狭い空間を通ることは、ラクダが針の穴を通るようなものだと言う人もいたくらいです。
この問題に対処するため、カスタマーサービスの時計師たちは、2本の針にZを逆にしたような曲がりをつけてロゴにも触らずガラスにも触れないようにするというトリッキーな方法を試みました。しかし長期的な解決策として、オーデマ ピゲは1977年2月24日にロゴを12時位置に移すことを決めました。これにより時針の動くスペースに余裕ができるようになります。翌日、「新仕様」のダイヤルの最初の注文が210枚スターン社に送られました。
そうすると、1977年春以降は新しいロイヤル オーク5402ウォッチは全て12時位置にモノグラムがあるバージョンになると思いがちです。しかしそうではありませんでした。1972年から1977年の最終注文まで、オーデマ ピゲは5402ダイヤルを4336枚注文しており、その同じ時期に2978本のロイヤル オーク5402ウォッチを販売しているからです。つまり1977年春にもまだ1200枚以上、6時位置にモノグラムがあるダイヤルの在庫があったのです!
アーカイブの記述はダイヤルの変更について詳細な記述がなく、モノグラムが12時位置についた最初のウォッチがいつ製造開始されたか、また6時位置のバージョンの5402の最後のものはいつ出荷されたかについて記述がありません。6時位置にモノグラムがついたダイヤルのウォッチが、12時位置のバージョンに置き換わったことについても述べていません。さらには二つのバリエーションが共存したかどうかについても記述がありません。
よくあるように、歴史家は想像力を働かせ、仮定を構築することを求められます。ビッグナンバーについて見てみましょう。1971年から1990年までの間、オーデマ ピゲはモデル5402のダイヤルを6,983枚発注しました。そのうち5,189枚はブルー、1,548枚はスレートグレー、246枚はゴールドカラー(ブラウンとも呼ばれる)でした。もちろん少なくとも62%はAP モノグラムが6時にあります。そして注目すべきは、オーデマ ピゲは販売したウォッチの数より911枚多くダイヤルを発注していることです。つまり5402ウォッチのうち最大15%は、オーデマ ピゲのアトリエでダイヤルを付け替えた可能性があると考えられます。
「ナイトブルー、クラウド50」 でホワイトゴールドのアワーマーカーのダイヤルを見てみましょう。これはステンレススティールのロイヤル オーク5402ST向けのものです。1971年から1990年までの間に、オーデマピゲはトータル4,992枚のダイヤルを発注しています。そのうち少なくとも4,085枚はAP モノグラムが6時位置についており、12時位置のものは最大で907枚です。ちょっと考えてみると、最後に販売された907本のロイヤル オークウォッチのダイヤルのロゴが12時位置だったとすると、ダイヤル変更は1978年春に行われたと考えられます。つまりCシリーズのナンバー1500あたりです(5402シリアルナンバーに関する記事を参照)。しかしその前に12時位置のダイヤルに付け替えたものがたくさんあるとすると、そう単純には言い切れません。
もう一つ頭の体操をしましょう。今度は逆の場合です。オーデマ ピゲが12時位置のダイヤルに切り替える前に、6時位置のダイヤル4085枚の在庫全部を使ったと仮定すると、5402ウォッチに12時位置のダイヤルを組み込むのはDシリーズ最後の1981年11月となります。最初から12時位置のダイヤルを組んで販売したウォッチは、わずか219本となります。しかしこの仮定はさらに非現実的です。なぜならオーデマ ピゲが6時位置のダイヤルを発注してからそれを初めて使うまでに、3年も待ったことになるからです!その答えはこの二つの時期、1977年2月から1981年11月の間のどこかにあります。
結論:スムーズな変更をしたのならば、変更は1978年終わり頃ではないでしょうか。変更がゆっくりと行われたのであれば(その可能性が高い)、二つのバリエーションは1977年夏から1979年夏までは共存していた可能性があります。ダイヤルの発注の事実に基づけば、5402STの4,304枚のうち、最大16%がAP モノグラムが12時位置にあったということになります。
トランスファー印刷
スターン社の技術仕様書には、いくつかのクリシェナンバーが記されています。フランス語のクリシェは酸を用いた写真の焼き付けプロセスによりエッチングされた金属板でその刻印の転写に使用されます:例えばシグネチャー、線路分目盛や原産地表示などです。小さな文字を印刷する中でタペストリーで証明されたように、できるだけ深みが出るように工夫することができます。ピラミッドの側面をペイントが流れ落ち、細いダイヤモンド形の溝に入って乾くというようなこともできます。スムーズな仕上がりで溝を埋めるために、ダイヤルメーカーはまず透明インクで2層の印刷をし、その後にホワイトペイントで2層の印刷をしました。このプロセスは今日も使われています。
ダイヤルカラーに微妙に違いが出るように、トランスファー印刷の位置もやや違うことがあり、文字とラインの厚みについても同様です。ただしブランドネームは10時、12時、2時のアワーマーカーの先端で構成される三角形の中に位置することとしています。AUTOMATICの記載はこの三角形のやや下に位置します(図を参照)。APモノグラムが12時位置のダブルアワーマーカーに代わり配置された時に、この記載は6時位置に恒久的に移されました。
もう一つのトランスファー印刷はとても控えめです。それぞれのアワーマーカーの先端の間に4つの小さな輝くラインマークが分目盛として並び、ダイヤルの円形のフォームをアピールしています注意深い愛好家の方はご存じかもしれませんが、デイト窓の右の3つのハーフライン分目盛はオリジナルの5402のダイヤルのみに現れています。1980年代にスターン社によりつけ変えられたダイヤルもこうなってはいません。最後に、3番目の要素はさらに控えめなものです。6時位置のアワーマーカーの下にあるスイス原産を示す記載です。
SWISSからSWISS MADEへ
17世紀のギルドのホールマークの伝統を受け継いだスイスメイド表記は、ウォッチの品質を保障するものです。1971年の法令により規定されたこの表記の他、ウォッチ自体とムーブメントへのエングレービングがあります。マルチホールマーク(貴金属、ダイヤルメーカー、ケースメーカー、ブレスレットなど)、ジェムセットに関する記載、そしてダイヤルへのシグネチャーがあります。
オーデマ ピゲのダイヤルでは原産地表示は徐々に形をとってきました。19世紀にはトレードマークの下に"Le Brassus"の表記をすることがありました。1930年代から1960年代の終わりまでは、この位置に"Genève" と表記することが多くなり、オーデマ ピゲがコンプリケーション アトリエをジュネーブに持っていることを示していました。6時位置のアワーマーカーの下にある小さなSWISSの文字は、1920年代から徐々に現れます。1970年代には必ず記載されるものとなり、ロイヤル オークの最初のウォッチは全てこれを記載しています。
時と共にダイヤルにはパティナが生まれます。傷がついたり、サビが出ることもあります。ダイヤル修復師はその場合、「リファービッシュ」(改装)を行います。アップリケを取り外し、塗装とニス、カラー、サビを落とすというプロセスです。ダイヤルはこうしてリフティングを受ける訳です。つまり電気メッキ、トランスファー印刷を行い、アワーマーカーを取り付けます。しかしタペストリーパターンのギヨシェワークをやり直すことはありません。
この「改装プロセス」はオリジナルの技術と外観を尊重するのはもちろんですが、時には改装の痕跡を残すこともあります。例えば、1985年頃まで6時位置のアワーマーカーの下にあったSWISSという文字が、この頃からSWISS MADEという記載に置き換えられています。このような小さな変更はあまり注目されることがなかったかもしれませんが、コレクターにとってはAP モノグラムのアプリケーションの位置と同様に、ウォッチの評価にとって重要な要素です。
理由は簡単です。ダイヤルに "SWISS MADE"の記載があれば、1980年半ば以降に製造されたか「改装」されたということになります。オーデマ ピゲ ヘリテージ チームはアーカイブの研究だけでなく、以前の従業員に聞き取りを行ってこの変更の理由を知ろうとしました。それによると、単にデザイン的要素が理由だったようです: SWISSの文字とMADEの文字を6時位置のアワーマーカーの両側に置くことにより、バランスがとれます。
5402ウォッチは最後の133本が1985年から2002年の間に販売されており、初期の販売時からSWISS MADEの記載があったことも指摘しておきましょう。



ダブルシグネチャー
コレクターの間では、一つのオブジェにプレステージの高いブランドネームが二つダイヤル上に輝くタイムピースは高い人気と評価を集めます。5402ロイヤル オークについては、この非常に稀なダブルシグネチャーの存在がタイムピースの価値を高めています。このような現象は、ブルガリ、ティファニー、ショーメとのダブルシグネチャーを記す数少ないオーデマ ピゲのタイムピースについても同様です。
ダブルシグネチャーについてより良く理解するため、1875年のオーデマ ピゲの状況を振り返ってみたいと思います。ジュラの奥深い山中でアトリエの時計製造机に向かって厳しい仕事を続ける時計師たち。その中で、最終クライアントと接触できるオーデマ ピゲの時計師はほんのわずかしかいませんでした。当時、オーデマ ピゲは他のウォッチブランドやジュエリーブランドと同様、販売についてはすでに大都会に店を展開しているティファニー、カルティエ、ギュブラン、ブルガリといったディストリビューターを介して行っていました。これらのブランドは、ディストリビューションの提携だけでなくクリエーションについても参加したことから、ジュウ渓谷で作られるオーデマ ピゲのウォッチにその名を加えていました。
時が経つにつれ、オーデマ ピゲのシグネチャーを持つウォッチが多く市場に出て行くにつれ、オーデマ ピゲの人気はコレクターのサークルで次第に高まっていきました。20世紀半ばまでオーデマ ピゲのシグネチャーはリテイラーの名と合わせて記載されていることも多くありました。しかし1950年代からオーデマ ピゲは自身の価値をより確立し、ダブルシグネチャーは少なくなって行きました。1970年代にはほぼ例外的な存在となります。
さらに、プラクティス自体が変化しました。1970年代の前まで、オーデマ ピゲは他のブランドのシグネチャーをつけたダイヤルを発注し、ル・ブラッシュのアトリエで組み立てていました。1972年当時、他ブランドは完成ウォッチを受け取った後に自らのブランド名をつけ加えていました。その結果、オーデマ ピゲのアーカイブにはモデル5402のダブルシグネチャーの記録が残っていません。ただし、販売先の都市ではそれなりのメリットがありました。例えば、ティファニーとのダブルシグネチャーのウォッチの場合、これを東京やパリで販売するよりニューヨークで販売することに大きな意味があるでしょう。ただしこれにははっきりしたエビデンスがありません。販売された時にダブルシグネチャーであったかどうかは、シグネチャーを加えたブランドのみがそのアーカイブで検証することができます。

モデル5402のダイヤル バリエーション
1977年ロイヤル オーク5402は初めて、イエローゴールドとホワイトゴールド、そしてバイカラーバージョンが発売されました。ギヨシェ ダイヤルもこの傾向を採用し、カラーバラエティを増やし、モノグラムとアワーマーカーの素材を変えたり、ダイヤモンドのアワーマーカーを加えたりしました。
スレートグレー ダイヤル
1977年2月から1990年9月までの間に、バイカラーの5402SA向けに1,548枚の「スレートグレー」ダイヤルが発注されました。少なくとも220枚のダイヤルのAP モノグラムは6時位置、少なくとも980枚は12時位置でした。ダイヤルカラーはケースとブレスレットのステンレススティールの色と合わせていましたが、ゴールドのベゼルとスタッドに合わせ、アワーマーカーをイエローゴールドとしていました。タペストリーパターンは最も象徴的なものですが、1970年代にタペストリーパターンなしのモデルが、ここにあるようなカラーバリエーションで現れています。
ブラウン(またはギルド)ダイヤル
モデル5402BA はブルーダイヤル、イエローゴールドのアワーマーカーの774本のロットがあります。このモデルは146本がギルドダイヤルで、そのうち25枚はAP モノグラムが6時位置、76枚が12時位置、45枚がアーカイブでは不詳です。6時位置にAPがあるギルドのバリエーションはとても希少です。2000年以降、APカスタマーサービスには一枚も届いていません。
ジェムセットダイヤル
アーカイブによるとダイヤモンドのアワーマーカーのダイヤルが23枚発注されています。ブルー、ギルドまたはスレートグレーで角形または丸型のスタッド、使用モデルはモデル5402 またはその 4187ジェムセットの 派生モデルで、非常に少数のシリーズまたは単品という伝統を再現しています。
トリチウム加工のアワーマーカーと針
ロイヤル オークのアワーマーカーと針は常にゴールドです。どちらも柔らかな曲線と軽やかさという同じ特徴を持っています。モデル5402を生み出したデザイナーのジェラルド・ジェンタはこう語っています:「アワーマーカーと針は輝く素材をリングのように縁どり、繊細な効果を出していた」ベニュワールとはバスタブのことで、オーデマ ピゲのアトリエでは広く使われていました。形状もそうですが、中をくり抜いたオープンワークの構造に別の素材トリチウムを埋めることからきネーミングです。
ウォッチダイヤルへの蓄光素材の使用は、20世紀には多く行われていました。2018年6月のスイス時計新聞、ル・タンに掲載された記事でイアズ・シャムスは、1898年にマリー・キュリーが発見したラジウムは長い間、健康に良い効果があるとされていたと書いています。ファブリックも含め、いろいろなところで使われていました:「イラディア ブランドの放射性下着をスキーに推奨していたほどです!」精神安定剤の成分としても「放射性成分を接種すると生命を吸収する事になる」ともてはやされたくらいです。スイス時計業界では「ラジオルミネーター」と呼ばれる数千の女性が、多くはスポーツウォッチのダイヤル、アワーマーカー、針に手作業でラジウムを塗布していました。米国では「ラジウムガールズ」と呼ばれる女性たちが同じ作業を行っていました。リディア・ディーン・ピルチャー監督の同名の映画にその様子が描かれ、2018年に発表されています。
1930-40年代には、オーデマ ピゲのクロノグラフ ウォッチの中にラジウムを使ったものがありました。しかし素材の危険が指摘されるとすぐに、オーデマ ピゲは1957年にこれを中止しました。スイス政府が法律でこれを規制する6年前のことです。
夜間に光るルミネサントダイヤルはとても人気があったので、業界はこれに代わるものを探していました。そして放射性が弱いトリチウムが使われることになったのです。放射性レベルが7.5 mCi以下の場合(ロイヤル オークのケースもそうでしたが)、トリチウムの存在を公表する義務はありませんが、多くのメーカーはダイヤルにTと記していました。このトリチウムも徐々に使われなくなり1999年2月からはスーパルミノバ©に置き換わりました。これは蓄光能力のある非放射性の蛍光性素材です。その前までの素材は「自己ルミネサント」だった訳です。
初期のロイヤル オークの針は、最近の針とは多少違っています。経験を積んだ人なら(拡大鏡や顕微鏡を使い)、古い世代の針はメタル表面がよりフラットで幅が広く、ルミネサント素材のラインを認めることができるでしょう。時計師たちが「平らな針」と呼ぶこのタイプの針はモデル5402にのみ見られます。後日のモデルではガラスとダイヤルの間のスペースがもっとあるので針は「平らにする」必要がありませんでした。モデル8638と4100、そして後続モデルのメタル表面は持ち上げられているため薄く、蓄光素材により大きなスペースを提供しています。

結論
最初のロイヤル オーク ウォッチのダイヤルはいくつかのレベルにおいて技術的、デザイン的にマスターピースであるといえます。少し離れて見るとそのムワレ効果が光にきらめき、読み取りも完璧です。ダイヤルを近くで見ると、頂点をカットした数百の小さなピラミッド(板チョコのようでもあります)が、桝目のように整然と並びウォッチの縦横のラインをアピールしています。顕微鏡で見ると、ダイヤルは数万個のダイヤモンド形のカット面が並び、時にはオーバーラップし複雑なカーブを描き出す風景のように見えます。
この50年にわたり数えきれないほどのバリエーションを生んでできたタペストリー模様は、ロイヤル オークの重要なデザインコードとなっています:大きなもの、小さなもの、変遷、輝きなど。この存在感の一方、1970年代後半にすでにロイヤル オークはギヨシェモチーフなしの、よりクラシックなダイヤルも使っていました。その中でも注目されるのは1984年のモデル5554、初のロイヤル オーク パーペチュアルカレンダーでしょう。
編集チーム:オーデマ ピゲ ヘリテージ チーム、ル・ブラッシュ
初版:2022年1月24日





































































